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[2008年08月12日] 宋文洲問題: ネットの匿名とアマチュアリズム

『デキルヤツノ条件 23:その“達成感”には、つきあいきれません (2008/08/11)』
(http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/nbonline.cfm?i=2008081100618cs&p=1)
について。

今まで宋文洲さんのコラムはユニークなので興味深く読んでいたのですが、
このインタビューでの宋さんの主張は練れていない様に思います。
宋さんが『匿名』と非難しているのは、もっと別のものなんじゃないでしょうか。
(以前に取り上げた『匿名』を批判する小倉弁護士の主張とは異なる様に思います。)

最初に本論とは外れますが、当ブログに当てはまる批判がありましたので説明します。
> 他人のコラムをコピペして批判するってのはあなた、
> 他人のフンドシで相撲を取るようなものですよ。
まさしく私の事ですね。私のブログのスタンスは、
「世間ではこの様に言われていますが、私の考えは違います」との主張です。
私のブログで時事問題や著名人の引用を用いるのは、前提の説明が省けるからです。
時事問題であれば、特定の出来事について共通の前提を基に論じられますし、
「オピニオンリーダ」の発言であれば、世間に認知されていると考えられます。
また、私自身が事実の解釈をすると、ひとりよがりの主張になりがちですから、
相手の土俵(解釈)に立って自説を説明する事により、より客観的な事実認識を基に
主張が出来ると考えます。私は敢えて「他人の土俵で相撲を取っている」のです。
何より只でさえエントリが長いのに、前提の定義からしていたら誰も読んでくれません。

また、何を書いても許容される(意見表明レベルの)素人のブログと違って
専門家の意見としての問題を指摘する事もあります。
私は素人には批判を受ける責任は存在しないと思いますが、
専門家であれば批判を甘受する義務があると考えます。

> 匿名というのはやっぱりアンフェアなんです。
> 作家が有名であるほど匿名性とのアンバランス、ギャップは大きくなる。
> 両者の関係があまりにもアンバランスな場合は、読者に自由に書かせないほうがいい
例えば現状のコメントに名前が付加されるだけでアンバランスは解消されるでしょうか?

> こっちは顔を出しているのに向こうは顔を隠している、
> 読者が10万人いたら1対10万の関係ですよ。ぜんぜん対等じゃないんだ
10万人が顔を出せば、対等なのでしょうか?
これも顔(『匿名』)では無くて、数の問題ですよね。

>  ブログでは匿名が許されても、メディアでは本来匿名は許されない。
> 本来許されないところに匿名でコメントを掲載するのだから、
> 書き手と読者は対等ではないのだ。
(既存の)メディアが匿名ではないと言うのは誤りです。
例えばテレビで原稿を読んでいる人の名前は分かりますが、
実際に原稿を書いている人の名前は分かりません。
また、旧来のメディアでもペンネームでの寄稿は行われていますし、
新聞記事に記者名が記される事はまれです。

> 「大むかし……、戦前とかね、日本でも車の運転をする人はほんのごく一部だった
> はずですよ。全人口の1%しか車を運転する人がいなければ、
> その人たちはプロ中のプロで、運転技術もあってマナーもよく、
> プライドもあったわけです。でも、現代は誰でも運転する時代でしょう、
> そうするとマナーの悪いやつも出てくるんです」
ここでは『プロ』との言葉が出てきますね。宋さんが『匿名』と批判しているのは
『アマチュア』の事なのではないでしょうか。

宋さんが問題にしているのは『実名』『匿名』の関係ではなくて、
『プロフェッショナル』と『アマチュア』の違いだと思います。
この文脈での『プロ(フェッショナル)』とは、既存のメディアでの発言を許された
人物を指します。
『アマチュア』には失うものがありませんが、『プロ』には築かれた信用があります。
(『信用』が失われれば、既存のメディアでの発言が出来なくなりますから)
アンバランスとはこの事ではないでしょうか?



以下の宋さんの話は整合が取れていない様に思います。

> 知り合いにも書いてもらったりするんだけど、最初はお酒を飲みながら、
> 今度書いてよと頼むと、オッケー、いいよと二つ返事で引き受けてくれる。
> それで日を改めて広報部から正式にお願いに行くと、
> 書けないとかあれは冗談だとか言うわけ。

これについての直接の言及ではありませんが、以下の様な『例え』は変です。
> そう。そういうやつにかぎって会議になると何も喋らないんですよ、それと同じ。
> いるでしょ、仲間内じゃ“俺に言わせろ”って感じで喋るのに、
> お偉いさんがいると黙っちゃうやつって
こんな人物に宋さんは、記事を依頼していると言う事になってしまいます。
もしそうなら、断った人ではなく依頼した宋さんに問題があると言えます。

おそらく宋さんは、ネットの読者(の批判)に不満があるのでしょう。
匿名である事が問題だと言う立論をしようとして、
この様な奇異な主張になってしまったのだと思います。
この問題の本質はおそらく『匿名』ではありません。


> 宋さんの話で腑に落ちたのは、ネットの世界では誰もが“対等”だと思い込んでいることだ。
誰でも発信出来ると言う事はすなわち、ネットは素人の集まりなんです。
この意味でネットは『対等』なんですよ。
既存のメディアでは時間や容量等の制限が存在するために
発言出来る人(『プロフェッショナル』)と発言出来ない人(『一般人』)とに区分されます。
しかしネットにはその様な制限がありませんからこの区分は無くなります。
ネットには実社会における『プロフェッショナル』と言う概念が無いのです。
ネットは基本的にアマチュアリズムなんです。
既存のメディアで発言を許されたと言う事は、言い換えれば選別を受けた訳ですから、
一定程度の「発言の正しさ」が担保されていると考えられて来ました。
(私が上記「『プロ』には批判を甘受する義務がある」と言ったのはこの意味です)
でも、宋さんが「著名人は批判(コメント)を受け付けるべきではない!」と
主張するのであれば、「発言の正しさ」が担保されていると言う事ではなく、
それは単に「メディアにコネがあった」だけなのかもしれません。


アマチュアの集まりで「私は『プロ』だ!ありがたく拝聴しろ!」
なんて主張したら顰蹙を買いますよね。
ネットで『プロ』を気取っている人達は、この様な主張をしているのです。


ネットの匿名を批判する人って、
「私は『プロ』だ!アマチュアの相手など出来るか!」
こんな主張をしている様に思います。これは選民意識の顕れではないでしょうか。
(「対等ではない」との主張はそれを端的に示しています)
これを自覚する事無く、批判相手が匿名である点を非難するのは、
自身の差別意識を認められないからだと思います。

誰でも発信出来るネットにおいては、(旧来のメディアで発言の許された)「プロ」が
偉いと言う事にはならないんですよ。

[2008年06月24日] 侮日新聞 『社説:「WaiWai」廃止 断じて看過してはならない』


毎日新聞英語サイトのコーナー「WaiWai」が6月21日に全面的に廃止になった。
掲載していた毎日新聞社が、嫌がらせや妨害が起きることを懸念したためだ。

 黙過できない。言論、表現の自由が揺らぐ。そういう事態と受け止めなければ
ならない。

 今年初め、日本教職員組合の教研集会の全体会場、宿所だった東京のグランド
プリンスホテル新高輪が、一転して使用を断った。右翼の街宣や威圧行動で顧客や
周辺の住民、受験生らに迷惑がかかるというのが理由だった。裁判所は使用を
させるよう命じたが、ホテル側はこの司法決定にも従わないという空前の異常事態
になった。

 私たちはこれについて「今後前例として重くのしかかるおそれがある」と指摘した。
「WaiWai」廃止で「おそれ」は現実になったといわざるをえない。

「WaiWai」は数年前より、国内の週刊誌などの報道を引用し、日本の社会や
風俗の一端を紹介してきたもので、5月下旬よりネット右翼らが英文毎日編集部に
「WaiWaiの英訳記事は低俗過ぎる」との抗議電話を執拗に掛けたきたほか、
インターネット上の掲示板で匿名の批判も行われた。これを受け、一部インターネット
ニュースでもこの問題が取り上げられる事となった経緯がある。

 萎縮(いしゅく)の連鎖を断ち切るには、再度掲載を決めるか、別コーナーででも
公開の場を確保する必要がある。ことなかれを目的にした「回避」は日教組を拒絶した
ホテルの場合と同様に、わが意に沿わぬ言論や表現を封殺しようとしている勢力、
団体をつけ上がらせるだけであり、各地にドミノ式に同じ事例が続発することに
なろう。

 一方、警察当局にも言いたい。新聞社側が不安を抱く背景に、こうした問題で
果たして警察が守りきってくれるのかという不信感があるのも事実だ。
発表や集会を威圧と嫌がらせで妨害しようとする者たちに対して、きちんとした
取り締まりをしてきたか。その疑念をぬぐうことも不可欠だ。

また、馬鹿なネット右翼は、どういう神経で毎日新聞を批判するのだろう。
記事の内容をどう評価し、どう批判するのも自由だ。しかし匿名で批判するなど、
それ自体が無形の圧力になることは容易に想像がつくはずだ。
それが狙いだったのかと勘繰りたくもなるが、購読者である日本の人々はその言動が、
意図するとしないとにかかわらず、圧力となることを肝に銘じ、慎重さを忘れてはならない。

 逆に、今回のように「後難」を恐れて発表の場を封じてしまうような場合、
言論の府の議員たちこそが信条や立場を超えて横やりを排撃し、むしろ毎日新聞の
販売促進を図って当然ではないか。

 事態を放置し、沈黙したまま過ごしてはならない。将来「あの時以来」と
悔悟の言葉で想起される夏になってはならない。


侮日新聞 2008年6月24日 0時06分
(この『社説』はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません)



上は毎日新聞4月2日の『社説:「靖国」中止 断じて看過してはならない 』
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20080402k0000m070158000c.html
に準じています(既にリンク切れ)。

この『社説』に問題はあるでしょうか?

私は問題があると考えます。
「WaiWai」の記事が妥当なものであったか「WaiWai」への批判が度を越えていたか、
一番論ずべき事項についての言及がありません。
問題のある記事を批判する事もまた言論・表現の自由の発露です。

映画の件では、皆が脳内補完をしていた為に別に気にならなかったかもしれませんが、
毎日新聞は「不正な方法で『圧力』を掛けた」事や「映画の内容に問題は無い」事を
何一つ指摘していませんでした。毎日新聞の社説の大半はアジテートなのです。


(ご参考)ちなみに毎日新聞の「WaiWai」には、以下の様な事項が書かれていたそうです。
# 「弁護士がメスの豚を獣姦し、のちにそれと同じメス豚が料理としてその後出てきた」
# 「パールハーバーと南京大虐殺の後継である政府省庁が、テディベアを持ってメイド服を
# 着たかわいらしい漫画の少女キャラクターに日本の防衛策を説明させるようになった。」
# 「ファーストフードを食べると神経の中枢のコントロールできなくなりセックス依存症になる」
(http://www.j-cast.com/2008/06/20022225.html)


私も毎日新聞社の当該コーナーは酷過ぎると考えます。
匿名のブログでもこんな事を書いているサイトを見た事がありません。
ただこれは毎日新聞の日本語のサイトも同じです。

> 6月19日 恋愛テク:すぐ寝る女は愛される?男の恋愛深層心理
http://mainichi.jp/life/love/news/20080619alb00m070001000c.html
> 6月9日 恋愛テク:初対面で男性のセックス傾向を見分ける秘訣
http://mainichi.jp/life/love/news/20080609alb00m070001000c.html

この様に、女性誌のいかがわしい(主観的に断定している)特集記事みたいなものありますし、
「まいまいクラブ」なるものもよく読むと酷いです。
特に読者のコメント欄の扱い(削除の方針)には疑問があります。

例えば、「君が代 不起立で処分される教師」
(https://my-mai.mainichi.co.jp/mymai/modules/weblog_eye103/details.php?blog_id=543#comment)
のコメント欄を見ると、(消されてしまったコメントの内容が不明なので
明解な批判は出来ませんが現在掲載されている内容から判断すると)
毎日新聞は一方(教師を擁護する方)の主張にのみ肩入れしている様に見えますし、
毎日かあさん(管理人)の#202の「愛読者の為」との削除理由が
「利害関係者に配慮している」と公言している様にも解釈できます。
トラックバックとは違い、コメントの削除は言論の抹殺を意味します。
社説で言論・表現の自由を主張し公器を謳う毎日新聞のコメント欄が
個人のブログと同であるはずがありません。
インターネットでは「紙面の制約」を根拠とした選別も理由になりません。


私は是非ともまいまいクラブで消されたコメントの内容について知りたく思います。
「『不適切』と判断したコメントを開示しろ!」との主張は難しいので、
削除前に1時間位は掲示する様にすべきなのではないでしょうか。
少なくとも「削除した」事すら隠蔽する「承認制」には問題が多い様に思います。

ネットでの「承認制」や(複数の新聞を読んでいない場合の)新聞「記事」だと
反対言論がありません。毎日新聞はネットの匿名を声高に非難しますが、
ネットには反対言論やセカンドオピニオンが存在します。
例え実名であっても一方的に主張をする事の方が問題ではないでしょうか。
この意味でネットでのコメント「承認制」には反対です。


> 日本国内で発行された雑誌の一部を引用したものとはいえ、
> Mainichi Daily Newsサイトに掲載したことは問題があった
(http://mdn.mainichi.jp/culture/waiwai/etc/owabi.html)
『引用』の責任は引用された方(引用元)ではなく引用した方(引用先)が負います。
「『引用』だから減免される」と考えている毎日新聞はプロとして失格です。
それとも「他のメディアも日本で公開しているのだから」との事でしょうか。
いずれにしても毎日新聞は、自らゴシップ紙と同レベルである事を認めた事になります。

メディアの問題として、記者の考えを述べただけでは記事にはならないのに対し、
数ある専門家の中から記者の代弁者たり得る『専門家』の発言を紹介するだけで
記事になってしまいます。でもこれは本質的に同じものです。
なぜなら間に一人置いただけで、記者の考えを書いた事に違いは無いのですから。
このため正当な記事では、その人がコメントするに相応しい理由を
記者自身が説明しなければなりません。

『引用』も同様です。「WaiWai」の記事の様に引用して紹介したなら、
それは毎日新聞として引用元の主張は正しく、
毎日新聞の読者に紹介するに値すると判断した

事を意味します。

これが理解されていれば、トンデモ科学や噂話を面白半分に紹介したり、
配信社のニュースを裏も取らずに掲載する事が無くなるのではないでしょうか。


毎日新聞は、問題の本質を理解していないと思います。
毎日新聞が反省すべきは、検証もせずに無責任な記事を載せた事ではないでしょうか。
毎日新聞には「引用だから責任は取らなくても良い」との認識が蔓延しているのでは
ありませんか。

もし毎日新聞が自信を持って「WaiWai」の記事を掲載したなら、
言論・表現の自由を守る為に反論しなければなりません。
事実であるなら「英語で発信」しようが「日本が誤解される」事にはなりません。
一部の事象を一般化した様に誤解されたと言う事なら記述を訂正すれば済みます。
「低俗」との批判には「低俗ではない」との反論をすべきです。

毎日新聞の「おわび」は一体何を詫びたのでしょうか。
「今後同様の批判を受けることがないよう確かな編集体制をつくろうと考え」では
「批判を受けないように」する事自体が目的となります。

> 今回の読者の皆さまのご意見を真摯に受け止め、
> 今後信頼される情報の編集、掲載に努めてまいります
(http://mdn.mainichi.jp/culture/waiwai/etc/owabi.html)
毎日新聞の考える「信頼される情報」とは何なのでしょう。
批判されない様に読者の顔色を伺うとしたら、そんな新聞を誰も信頼しません。

批判に対して黙ってしまう事(削除・廃止)は言論機関の死を意味します。
毎日新聞は一体何が問題だと考えているのか何も表明していません。
もし、この事を言語化出来ないのなら、毎日新聞は言論機関として既に死んでいます。

[2008年06月09日] 『直近の民意』の欺瞞

東京新聞 2008年6月8日 【私説・論説室から】野党になったらどうする
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2008060802000113.html
(確か朝日新聞もこの様な社説を書いていた様な。。。(**1))

「自民党の有力議員が中心になって衆参両院を一緒にして「国民議会」という
一院制創設のための議員連盟を発足させた。」と言う事だ。

> 今の二院制は時に時代の風潮に流されやすいわれわれには、
> 間違いをより少なくできる仕組みだ。
この主張の様に『直近の民意』のみで政策がころころ変わらない為に
現在は『二院制』と言う制度を採っている。
このため『直近の民意』なる言葉で衆議院の解散を求める民主党や
各新聞社の主張こそ憲法の精神(二院制)を貶めるものだ。

衆議院を優越とした現在の『二院制』と言う制度には民意の取り上げ方も規定している。
所謂『三分の二規定』こそが憲法で規定した「民意の取り上げ方」に他ならないのだ。
新聞社や民主党の主張する『直近の民意』なるものは言い掛かりでしかない。
憲法を尊重するなら新聞社は「民意を反映しろ!」ではなく
「民主党の政策の方が国民の為になる!」と主張しなければならない。
なぜこうしないのかと言えば、マスコミは政権闘争にしか興味が無いからだ。
彼らの目的は直近の民意を政策に反映する事などではなく、衆議院選挙にある。
直近の民意を反映させなければならないなら、一院制にするしかない。

>  それに一院制提案には与党ぼけもみえる。もし自民党が野党になったらどうする。
> 政治は時の政権の意のままに動き、自民党の政策・主張はほとんど無視される。
これこそ新聞社や民主党が主張する『直近の民意』を反映した政治ではないか。
自分の政党が有利になる様に政治制度を変更しようとするなど、独裁者のする事だ。
「正しい政治制度の為なら自分の不利益も厭わない」
これこそ天下国家を見据えた行動であろう。

>  どうも自民党は逆転国会にあたふたして、天下国家が見えなくなったようだ。
> ご都合主義の標本のような話である。
小林氏の中では「自分の(支持する)政党を権力につける」これこそが
「天下国家」的な視座なのだろう。頭が政権闘争に支配されているから、
自分の政党が困る様な制度を決める事を「天下国家が見えなくなった」と考えるのだ。
小林一博氏こそ「ご都合主義の標本」である。

***
私も小林氏同様『直近の民意』でころころ政治が変わる「国民議会」よりも、
現行の二院制の方が適切であると考える。
だとするなら政策変更は『直近の民意』ではなく国会の議論で行わなければならない。
野党である民主党が『直近の民意』を主張する事は止むを得ない事かもしれないが、
マスコミが『直近の民意』を基に解散を迫るのは
憲法の理念を無視した政治的中立性を欠いた主張であると言わざるを得ない。

言論機関なら「(国民の支持した)民主党の主張は素晴らしい」こう主張すべきだ。
『直近の民意』を論拠に解散を迫るのは間違えている。

===
**1(追記)朝日新聞の社説ありました。
>  「臨機応変、的確、迅速」のために、首相にぜひお願いしたいことがある。
> 早く衆院を解散し、最新の民意のもとで、ルールをつくることだ。
> それが一番の近道と思うのだが、議連の皆さん、どうだろう。
(2008年05月18日(日曜日)付 社説『一院制議連―参院が邪魔なんですね』)

[2008年05月12日] イカロス・メディア=毎日新聞

私は滅多に全文引用は行わないのだが、


発信箱:ナルシシズム・メディア=落合博(運動部)

 1789年7月14日、ルイ16世は日記に「何もなし」と書き込んだという。バスチ
ーユ監獄が襲撃されたこの日はフランス革命が(勃発ぼっぱつ)した日として世界史年表
に載っている。世間の諸事に無関心だったか、情報から隔離された「裸の王様」だったか


 長野市内で北京五輪の聖火リレーがあった先月26日、走者を務めた競泳選手の公式サ
イトには何の書き込みもなかった。リレー後の取材に、この選手は「この問題について答
えるつもりはない。僕らの舞台は、ここで発言することでなく、競技を見せること」など
と話したという。

 問題とはチベット問題を指す。彼の所属先でもある、聖火リレーのスポンサーは直前、
宣伝車での参加を取りやめた。彼の言葉には配慮がにじんでいて、裸の王様ではなかった
ことは確かなようだ。

 北京五輪では、選手や役員によるブログ(インターネット上の日記風サイト)活動が解
禁される。私小説的とも言えるブログについて、雑誌「ナンバー」初代編集長でジャーナ
リストの岡崎満義さんは「ナルシシズム・メディア」と呼ぶ。心の内を直接ファンに伝え
られるのが人気の一因らしいが、自己愛の吐露に陥りかねない。顔を出して公の場所で語
ることが自分だけでなく、スポーツの社会的な地位を高めることにもなることに気づいて
ほしい。

 五輪期間中、選手発の「ナマの情報」があふれるだろう。私たちは、選手本人にとって
都合の悪いことについても、気後れせずに尋ね、発信していくことでメディアとしての存
在意義、社会的な位置を確保していきたい。

毎日新聞 2008年5月10日 0時16分
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20080510k0000m070178000c.html



何と思い上がった主張だろうか。

「(運動部)」とあるから落合博氏はスポーツ関係の記者なのではないだろうか。
(それとも毎日新聞の『運動部』に所属する同じスポーツ選手としての見解なのか。)

取材対象であるはずの競泳選手に対して「裸の王様(ではなさそうだ)」とは何事か。
まさか競泳と言う競技を揶揄したものではあるまいが、
スポーツ選手が「この問題について答えるつもりはない。
僕らの舞台は、ここで発言することでなく、競技を見せること」
と答える事に何の問題があろうか。
見解を求められる文化人とは異なり、スポーツ選手は競技結果が要求される。
例えチベット問題に無関心であったとしても非難される謂れは無い。

> 彼の言葉には配慮がにじんでいて、裸の王様ではなかったことは確かなようだ。
これでは「配慮がにじんで」いなければ「裸の王様」だと言っている様なものだ。
単に落合博氏が「スポーツ選手はチベット問題に関心を持つべきだ!」と
思い込んでいるだけではないのか。

> (ブログは)自己愛の吐露に陥りかねない。
「自己愛の吐露」との言葉が良い意味で使われているとは考えにくい上、
「陥りかねない」からと言って「陥る」とは限らないのだ。落合博氏は
何で、まだしてもいない取材対象の行為を馬鹿にしようとするのか。

> 顔を出して公の場所で語ることが自分だけでなく、
> スポーツの社会的な地位を高めることにもなることに気づいてほしい。
「顔を出して公の場所で語ること」が「社会的な地位を高めることにもなる」との
説明が全くされていない。落合博氏はブログを「ナルシシズム・メディア」
「自己愛の吐露」と非難したに過ぎないのである。

スポーツ選手の地位は、自らの研鑽とそのパフォーマンス(結果)で決まるのであり
「顔を出して公の場所で語ること」が「社会的な地位」に影響などしない。
確かに「顔を出して公の場所で語ること」によって『有名』にはなれる。
でもそれは「社会的な地位」とは無関係だ。
同様にメディアの人達は誤解しているのだ。確かにマスメディアは社会に対して
影響力を持つ。でもそれはマスメディア(もしくは記者)が優れている事とは関係無い。


> 私たちは、選手本人にとって都合の悪いことについても、気後れせずに尋ね、
> 発信していくことでメディアとしての存在意義、社会的な位置を確保していきたい。
「北京五輪では、(中略)ブログ活動が解禁される」とあるから
おそらくこの競泳選手はオリンピックの選手であろう。
オリンピックにイデオロギーを持ち込む事も議論の余地があるし、
主張の内容によって判定が厳しくならないとも限らない。
オリンピック選手が積極的に政治的な表明をするメリットは存在しないのではないか。
選手が見解の表明を望んでいると言う事なら別だが、
部外者が彼らに見解の表明を強要する事にはむしろ慎重であるべきだろう。

スポーツ選手としての表現は、この競泳選手の言う様に
「競技を見せること」に尽きるのではないだろうか。
政治家や企業の経営者の様な人物であれば別だが、
果たしてスポーツ選手に「都合の悪いこと」を答える義務が存在するだろうか。
『私たち(毎日新聞)』の、この様な行為が「メディアとしての存在意義」
とするなら、毎日新聞の存在自体が害悪と言える。

落合博氏の主張は、高慢で身勝手だ。
この様な主張を載せる毎日新聞の見識を疑う。

[2008年04月13日] 抗議の作法或いは、ここにある危機

右翼の街宣車やネット右翼の抗議電話が怖いと映画の上映を取り止めたり、
反戦ビラを自衛隊の官舎内に入って各戸に投函した左翼(市民)団体が有罪になったりと
抗議行動について様々な批判が出ている。

抗議とは『許せない事』をしている相手に対し、
「止めて欲しい!」はっきり言えば「止めろ!」と主張する事である。
一連の問題をジャーナリストや知識人達はイデオロギーの色眼鏡で論評しているが、
これらはイデオロギー抜きで考える必要がある。
なぜなら、誰にでも起こり得る事だからだ。

確かに街宣車は典型的な右翼団体の抗議方法であるし、
ビラ捲きや(ハンガー)ストライキは左翼団体の典型であろう。
右翼がストライキを行ったり、左翼が街宣車を用いる事は聞いたことが無い。

これは彼らのメンタリティーの違いなのかもしれない。
きっと右翼は自分を『ヒーロー』に
左翼は『悲劇のヒロイン』に重ね合わせているのだろう。
おそらく『ヒーロー』なら勇ましく一方的に大衆に主張すべきなのだ。
『ヒーロー』の主張は皆が聞きたいはずだから大きな音である必要があるし、
皆が聞きたい『ヒーロー』が選んだセンスのある音楽も流す。

『悲劇のヒロイン』であれば、可愛そうな自分を皆に分かってもらおうと
一枚一枚のビラを心を込めて一人一人(各戸)に手渡す必要がある。
入り口にある集合ポストでは想いは届かないのだ。
もしくは可愛そうな自分がどれほど困っているかを可憐な乙女が空腹を我慢している姿として
皆に解ってもらおうとする。

これらは飽くまで抗議者の一方的な『思い込み』によるものなのだ。
一般人からすれば『ヒーロー』を目にしただけでも相当ビビる。
しかも大音量なのだ。容易に一般人が受け止められる容量を越えてしまう。
カリスマがあればあるほど、一般人には穏やかに接しなければならない。

『悲劇のヒロイン』である貞子が、ご丁寧にも「また来ちゃった。てへ!」と
『心のこもったお手紙』を家の前に残していたら、
その恐怖足るや想像を絶するはずだ。悲劇の度合いが高いほど一般人は恐怖する。
こちらも悲劇のヒロインほど、一般人には穏やかに接しなければならない。

ただ、抗議に際し「冷静に」あたると言うのは非常に難しい。
抗議の原動力は『怒り』である。『怒り』をどの様に表明するにしても
相手は恐怖を感じるはずだし、そもそも目的は相手の行為を止めさせる事にある。
相手が悪いから『怒って』いるのだから、
『悪人』を改めさせる為には多少の逸脱は正当化されると考えてしまう。

『ヒーロー』からすれば自分たちは正面から堂々と主張しているのだから、
恐怖するのは何か後ろめたい事があるからと考えるかもしれない。
一方『ヒロイン』は、ただ単に自分の気持ちを分かって欲しいだけなのに
「家に近づくな!」と主張するのは、自分を苛めているのだと受け取るだろう。


今回、一連の『靖国映画問題』を別の見方からすれば、
(逸脱した『脅迫』の様な抗議は無かったと仮定して)
「(特定の団体から見れば)『不適切』と思われる映画を抗議行動により
止めさせる事が出来た。」と解釈する事も出来よう。
(これは件の映画が不適切だと主張するものではありません)

ところがこれを「言論、表現の自由の危機」と解し、各メディアは
キャンペーンを張ったのである。しかも国会議員まで「特定の映画を上映すべき!」
と堂々と公言しだした。これは国会議員の活動として問題とならないのだろうか。
国会議員なら脅迫等の有無を確認した上で「脅迫に屈するな!」と
映画館を応援するに留めるべきではなかっただろうか。
国会議員が公然と特定の(しかも商業活動にも繋がる)『言論』を応援にする事は
問題ではないのか。

もし現在のメディアや国会議員の振る舞いが『正しい』なら、
上映する映画館がかえって増えた様に、抗議行動自体が無意味なものとなる。
果たしてメディアの主張する様に、私たちは不適切な内容の映画が公開されたり、
マスメディアが不適切な情報を流す事に対して無力で無ければいけないのだろうか?
私たちは「表現の自由」の為に『不適切な』映画が公開されるに任せるしかないのか。
(これは件の映画が不適切だと主張するものではありません)

私は不適切な映画が上映されると思った場合に抗議する事は構わないと考える。
果たしてそれは「言論表現の自由の侵害」に当たるのだろうか?
(これはイデオロギー抜きで考えてください)

『脅し』の要素は極力排除すべきだが、
社会的な影響を考えればメディアに対する抗議は許容されるべきだ。
マスメディア(映画館も含む)は情報の発信者としては『強者』である。
一般人と比べれば情報の『特権階級』と言って良い。
もし私たちが彼らの『自由』を侵害出来ないとするなら、
私たちは彼らの主張を一方的に甘受するしかない。

マスメディアは「表現の自由」や「報道の自由」を都合の良い様に
敢えて歪曲しているのだ。
「表現報道の自由」はメディアの特権などではない。国民の権利である。
マスメディアが国民に対して『自由』を主張する事は間違っているのだ。

私は法律の専門家ではないが、『自由』にはきっと優先度があるのだ。
最も優先度が高い自由はおそらくひとりひとりの国民としての権利だ。
次に業務として行う報道や興行(映画館)に対する権利であろう。
一人の人間に対して「表現するな!」と主張する事は許されるべきではないが、
私人が報道や興行に反対する言論は許容されるべきだ。

昨今のマスコミの論調は、私人の権利より報道機関の権利を擁護するものである様に
思えてならない。情報のエスタブリッシュメントである映画館に対する
私人からの抗議は許容されるべきだろうし、
ジャーナリストが上映の可否についての見解を述べる事も許されるべきだ。


では私人がビラを蒔く行為も許容されるべきだろうか。
今回の場合、ビラを配る相手が事業者ではなく個人の自宅(官舎の戸口)である為に
個人どおしの権利が交錯する事になる。
この場合は「やりたい」よりも「止めてくれ」との方を優先すべきなのではないか。


この機会に私たちは『適切な』抗議の方法について検討すべきではないだろうか。

一連の問題を「バカな右翼、ざまあみろ!」や「左翼可哀想、警察権力の横暴!」
と他人事としてではなく、自分ならどの様に『抗議』をするか、
社会としてどの程度の抗議を許容すべきなのかについて議論しておくべきだ。

自分にとって『許せない』事が今日にも起こるかもしれないのだ。
私には街宣演説やストライキ、ビラ配りや電話、メール程度しか思いつかない。
果たして最適な『抗議』手段と言うものは存在するだろうか。


***
メディアは自分達の『特権』を守る為に
「報道の自由」や「表現の自由」やネットの問題などを使って
私人のメディアに対する対抗手段を封じようとしている様に思う。

私たちはこのまま黙っていて大丈夫だろうか。

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