辻広雅文氏の「正社員のクビを切りやすくする改革は受け入れられるか」
(http://diamond.jp/series/tsujihiro/10011/?page=1)
に対してあるブログは以下の様に批判しています。
ここで、正社員の典型的な主張を示したいのですが、「正社員の典型」的な主張を行っている
著名人など見つけられませんので、『一般人』のブログから後半を抜粋させて頂きます。
この主張が特にエキセントリックであると言う事ではなく、ごく一般的(と書くと失礼かな)
ではありますが、とても良くまとまっているので取りあげました。
ネット上ではこの様な主張は多いと考えますが、ここにリンクを貼ると
個人に対する批判ととられ兼ねないので、引用元は当面伏せておきます。
(もしかすると著作権的に問題かもしれません。トラックバックを打っておきましたので、
リンクをしても構わないとの事であれば一言コメント欄にお願いします。)
以降当該ブログ主(および同様な主張をする人達)を便宜上A氏と呼ばせて頂きます。
労働法制の解体を唱えるようなエリートは不思議と想像力に欠けていて、自分が実際に非正規雇用になって、昇給もボーナスもなく、場合によっては社会保険も厚生年金もない状態を考えはしない。あるいは考えても「実力」に自信があるためか軽視したがる。ましてや「ワーキングプア」やホームレスに自分がなる可能性など絶対に考えたことがない。考えたことがあれば、こんな暴論を唱えるはずがないからだ。
辻広氏の記事の目的は明瞭だ。正社員を「既得権益」と称すことで、正社員と非正社員を分断し、非正社員が「正社員の解雇の自由化」に賛成するよう仕向けることである。これは「正社員を自由に解雇できるようになれば、あなたたちが正社員になれるチャンスが広がりますよ」という悪魔の囁きだ。今まで自分を見下していた正社員が没落する様を思い描いてカタルシスを得る者もいるだろう。
しかし、それは問題のすり替えである。「正社員の既得権益」は本来「権益」ではなく「労働者の当たり前の権利」である。正社員に昇給やボーナスや社会保険があるのがおかしいのではなく、非正社員にそれらがないことがおかしいのである。それを修正するには正社員の待遇を引き下げるのではなく、非正社員の待遇を引き上げるほかない。
非正社員が叫ぶべきは「既得権益を解体しろ」ではなく、「既得権益をおれにもよこせ」である。単に「上」と「下」が入れ替わるだけでは、差別そのものは存続する。「正社員の解雇の自由化」は「貧困と格差」の解消どころか、「全労働者の奴隷化」さえ招くだろう。
だいたい正社員と言っても、現在ほとんどが成果主義による競争と過労で苦しんでいる。大企業と中小企業の格差や地域間格差も深刻だ。「既得権益」と言えるほど正社員が恵まれた状況にあるわけではない。最近は「ワーキングプア」化した「周辺的正社員」がクローズアップされているほどだ。
正規・非正規雇用間には確かに矛盾はある。しかし、その解決は正規雇用の解体ではなく、非正規雇用の「正規」化と非人間的な労働環境の是正によってしかもたらされない。財界や御用メディアが目論む労働法制の解体は矛盾を拡大するだけだ。「本当の敵」を決して見誤ってはならない。
確認しておく点がふたつあります。
第一に、このブログ主(A氏)は、
「今まで(非正社員である)自分を見下していた正社員」
「単に「上」と「下」が入れ替わるだけでは、差別そのものは存続する。」
の様に、正社員の非正社員に対する差別の存在を認めています。
第二に、A氏は正社員の既得権益(「当たり前の権利」)を守る事を絶対条件としています。
>「ワーキングプア」やホームレスに自分がなる可能性など絶対に考えたことがない。
>考えたことがあれば、こんな暴論を唱えるはずがないからだ。
辻広雅文氏(や私)とA氏との一番の違いがこれでしょう。
A氏は、自分に都合の悪く(「ワーキングプア」に)なる様な主張を唱える事を『暴論』と呼んで、
「『暴論』(自分の都合が悪くなる様な主張)を唱えるはずは無い」と主張します。
この思考形態は、政治運動のものです。
政治運動とは自分の利益が最大になるように社会を変えようとする働きの事です。
個人の利益ではなく日本という国全体を良くしようとするなら、
現在の自分のポジションを顧みてはいけません。
社会全体としての公平、平等等の観点から制度を設計しなければならないからです。
自分の既得権益を守る事を前提にすると言うなら、公務員制度の改革において
公務員が天下りを死守している事と同じです。
自分の利害から離れない限り、制度改革など出来ません。
> だいたい正社員と言っても、現在ほとんどが成果主義による競争と過労で
>苦しんでいる。大企業と中小企業の格差や地域間格差も深刻だ。
>「既得権益」と言えるほど正社員が恵まれた状況にあるわけではない。
>最近は「ワーキングプア」化した「周辺的正社員」がクローズアップされているほどだ。
ごく一部の事例をことさら取り上げる事によって事実認識を歪めようとしている様に思います。
本当にそうなら「全労働者の奴隷化」でも問題は無いはずです。
大多数はそうではないから「正社員の解雇の自由化」を暴論と言うのではありませんか。
A氏の主張は自分(ある程度恵まれた正社員)の事しか考えていない身勝手なものと言えます。
「正社員の解雇の自由化」の目的は雇用の流動化です。
現在の正社員の椅子を椅子取りゲームとすれば、正社員が「既得権益」に
しがみついている為に、椅子が全く空かない状況に例えられます。
もし一定数の解雇が発生する様になれば、椅子の空きが発生し椅子取りゲームが始まります。
これが雇用の流動化なのです。そして雇用が流動化されれば「成果主義による競争と過労」
の軽減も望めます。なぜなら、そんな無理を要求する会社は辞めれば良いからです。
現在の雇用状況に於いては、一度正社員を辞めるとおいそれと正社員に戻る事は出来ません。
会社は正社員達が「既得権益」を手放したくない(もしくは「奴隷」にはなりたくない)と
考えている事を理解していますから、無理を押し付ける事が出来るのです。この様に
「周辺的正社員」の問題も雇用の流動化が阻害されているからこそ発生していると言えるでしょう。
雇用が流動化されれば辞めたり解雇された場合でも一定のスキルを持っている人であれば、
次の正社員の椅子を得る事が出来る様になります。しかし現在の状況では、
一度正社員の椅子を手放すと、次の椅子を手に入れる事は非常に難しくなります。
これを自己責任を呼ぶなら、正社員の椅子をみすみす手放した事が問題とされるのでしょう。
正社員も好き好んで椅子にしがみついている訳ではありません。
学校を卒業してすぐに自分に最適な仕事や会社を見つけられる事など奇跡に近いと思いませんか?
現在の日本の雇用制度は新卒でたまたま入社した会社に(労働者である)自分を合わせる事で
成立しています。自分に合った仕事ではなく、仕事に自分を合わせているのです。
こんな非人間的な仕組みで良いのでしょうか?
様々な仕事や会社を通して、自分に合った仕事や会社を見つけられた方が良くありませんか。
この様に雇用の流動化はたまたま正社員になる事が出来た人の為にもなるはずです。
非正社員である事が自己責任と呼べるのは真に雇用が流動化された後です。
(非正社員を選んだ。もしくは一定水準のスキルを獲得出来なかったとの意味で)
> 非正社員が叫ぶべきは「既得権益を解体しろ」ではなく、「既得権益をおれにもよこせ」である。
全ての人が「既得権益」を得る事はできません。
A氏のこの主張を裏返せば「正社員は関係ない!非正社員が勝手にやれ!」との主張になります。
>「正社員の既得権益」は本来「権益」ではなく「労働者の当たり前の権利」である。
正社員、非正社員どちらも同じ労働者です。確かに経営者の視点から見れば、
どちらも単に労働力に過ぎませんから非正社員を差別する必要はありません。
少なくとも経営者は、労務費に変化が無い事を前提とするなら、解雇しずらいと言うリスクを持つ
正社員の待遇が抑制されるので、非正社員と正社員の待遇を同じにする事自体を反対しない所か
歓迎さえするはずです。(前述の「無理を要求」出来なくなる点では逆に動くでしょうけど)
A氏の言う様に非正社員が労働者として「当たり前の権利」を得ていない存在であると考えているなら、
# 「今まで(非正社員である)自分を見下していた正社員」
# 「単に「上」と「下」が入れ替わるだけでは、差別そのものは存続する。」
などの差別があるはずはありません。
むしろ経営者ではなく正社員の方が「見下して」「下」(「奴隷」)と差別する対象を必要としているのです。
待遇の格差を求めているのはむしろ正社員の方なのではありませんか。
私は多くの非正規雇用の人達の待遇は看過できる範囲を越えていると考えます。
(労働者として「当たり前の権利」が認められていないのですから、A氏にも賛同頂けるはずです。)
本当に正社員の人達が非正社員が不当な待遇だと考えるなら、一時的に自分の待遇を落としてでも
非正社員の待遇を上げる事について同意すべきです。その後で、正当な対価を正規非正規を問わず
全労働者で労働運動でもして確保すれば良いではないですか。
全体としては少数の上、立場の弱い(解雇しやすい)非正社員のみで行う労働運動の効果に
全く期待など持てません。
仮に「全労働者の奴隷化」になったとしても、少なくとも全労働者の利害は一致するはずです。
私には正社員と非正社員を分断しているのはむしろA氏の主張の様に思えます。