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[2008年07月15日] 雇用を固定化すると良い事があるの?

推敲しましたし、話を続ける用意もあります。
ちょっと非道いんじゃないですか?mahounofuefukiさん!


ーーー

前回のエントリで引用させて頂いたブログ
「世界の片隅でニュースを読む」から反論を賜りました。

「雇用の流動化で非正規労働者は救われるか」(http://sekakata.exblog.jp/7305923/)


すこし経緯をお話しますと、
実は私は以前よりネットでこの様な主張を散見し、問題があると感じておりましたので、
あの様な不自然な引用をさせて頂きました。私の中ではmahounofuefukiさんの様な立論は
かなり強引な論理展開であり、普通の労働者の主張として違和感を感じていました。
ただ正社員の立場からの主張であるために正社員が主張しているのだと判断しました。
mahouhofuefukiさんらの主張は「非正社員」を置き去りにしているように思えたからです。
「魔法の笛吹き(mahounofuefuki)」と言うと「ハーメルンの笛吹き男」を想起します。
mahounofuefukiさんは正社員ではないそうですが、非正社員とも仰いませんね。
政治運動を肯定されていますし、もしかしてアジテーターを自認されているのかな?


>  このブログの他のエントリをいくつか斜め読みしたが、このブログ主と私との間には
>基本的な社会認識や倫理観において深い溝があり、議論を繰り返しても平行線の
>ままなのは確実なので、捨て置いてもよいのだが
個人のブログですので無理に相手をする必要は全く無いですし、私と話せと言う事でも
ありませんが、「『基本的な社会認識や倫理観において深い溝』がある相手とは話さない」
と言う信条についてはご一考される事を進言致します。
これは「自分と異なった考えを持つ人の存在を無視する」と明言されている事に他なりません。
果たしてその様な人が正常な「社会認識」や「倫理観」を持てるしょうか?
「社会認識」や「倫理観」と言うものは、広い視野が不可欠だと考えます。
言うまでも無い事と思いますが、社会には様々な人がいるのですから。

> 結論から言えば「異論〜」氏の主張はあまりにも無邪気で、雇用待遇差別問題に対する
>無知と問題解決への見通しの甘さを曝け出しており、とうてい受容できる内容ではない。
罵倒語並びすぎです。まいったなぁ。。。これが結論なのですか?
その様な評価をもたれる事は結構ですが、そんな内容を敢えて書く必要があるとは思えません。
結論なら「雇用を固定化した方が「異論〜」氏の主張よりも非正社員の為になる」だとか
せめて「「異論〜」氏の主張では非正社員は幸せになれない」程度の事を主張されるべきです。
私が無知であると指摘する事に一体何の意味があるのでしょう。
私と「言い争っている」と考えるのではなく「非正社員の為に何が出来るのか」との観点
からアイディアを競い合いましょう。もっと建設的な議論が出来るはずです。

>往々にして「国全体の利益」なるものは権力者に利益にすぎない。この批判は論外である。
「往々にして」と言うのは「絶対に」と言う意味ではありません。「論外」と
切って捨てるには私の主張が「権力者に利益」?のものであるとの指摘をしてください。
ちなみに私の考える「国全体の利益」とは日本国民の利益を差し、それには当然労働者も
経営者も、資本家も含まれます。(権力者が誰を指すのかはよく分かりませんが、
国民の一人と言う意味においては利害関係者に含まれると考えます)
労働者階級の利益追求が最優先と仰るmahounofuefukiさんはおそらく
経営者や資本家の利益の事には無頓着なのでしょうが、
私は労働者と経営者と資本家との利益配分の最適解についても考慮すべきと考えます。
ロバストなシステムを構築する為には、国全体のコンセンサスが必須ですから。

私が「政治運動」を評価しないのは政治運動は特定の人の方にしか向いていないからです。
mahounofuefukiさんは「弱者」と仰いますが、政治運動における「弱者」とは
『政治運動の対象となる人の中においての』との制約がつきます。
これは「本当の弱者」ではないかもしれません。
その為、政治運動においては「本当の弱者」を平気で踏みつけます。
(族議員の人達は生活保護費をカットしてでも道路を作ろうとしますよね!)

mahounofuefukiさんは、確かに「非正社員の為の批判」は言っているでしょうが、
実際に「非正社員」の為の具体的な対策に乏しい様に思えます。
私には「口だけ」の様に見えるのです。本当に非正社員の事を考えているでしょうか?

私も「弱者」の事を考えているつもりです。先のエントリでも述べましたが、
経営者に対する発言権が弱く立場も弱い非正社員のみでは、実効性が無いと考えますので、
正社員と共に行動する事が大切であると考えます。また私は
正社員の待遇を確保するよりも非正社員の待遇を上げる事の方を優先すべきと考えます。
(これをmahounofuefukiさんは
「全労働者の均等待遇のためには、正社員の待遇を引き下げるべき」と総括しました)

>低賃金の上に失業リスクが高く、既存の社会保障システム(医療保険・雇用保険・年金)
>から排除されているというのは、生存権が脅かされていると言っても過言ではない。
そのとおりです。生存権が脅かされている人をまずなんとかしなければなりません。
私は「雇用待遇差別問題に対する無知」かもしれませんが、mahounofuefukiさんよりも
危機感は持っていると思います。私を罵倒するより、生存権を脅かされた人達を助ける
方法について私よりもっと良い方策を示して下さい。それで充分な反論になりますから。

> 正社員の待遇を引き下げても非正社員の待遇が引き上がる保障は全くない。
その様な事はありません。突き詰めればお金の問題なのですから交渉次第でしょう。
一方的に非正社員の賃金アップや医療保険・雇用保険・年金の加入を義務付ける事は
無理でしょうが、正社員とのバーターとの条件を出せば、交渉の余地はあるはずです。
正規/非正規雇用間の再分配を企業毎に行うのか国等が関与するのかは議論すべきですね。
業種によっては正社員の比率が異常に低かったりしそうですから。

何より差し迫っての「生存権」の対策は賃金です。
単価が上がれば、同一賃金を得る為に必要な労働時間が短縮出来、その時間をスキルを
上げる事に使えますし、従来と同じ時間を働いたら貯蓄ができる様になります。
これは失業時のセーフティネットや、より条件の良い仕事を探す余裕につながります。
非正社員の待遇が正社員と同レベル(もしくはそれ以上;私はこう主張します)になれば、
たとえ非正社員であっても生活が出来ます。

> 氏は雇用が流動化すれば労働者はより好待遇の企業に移ることができると言うが、
私は特にこの様な主張をしていないと思うのですけど。どこを指しているのでしょうか。
少なくとも現在と比べればその機会が増えるとは思います。

> 実際は多くの業種で勤続年数が評価されるので、転職自体がリスクとなる。
> 何よりも辞めた後、次の仕事が見つかるまでの生活はどうするのか。
これは解雇ではなく転職の話なのですよね。
私は転職を義務付けている訳ではありませんから自分にとって得だと判断したら
転職すれば良いのです。一体何を問題にされているのか、理解に苦しみます。
非正社員の場合は前述の通り雇用保険(給付はなじまないかもしれないので貸付?)の加入
および賃金の向上による余裕が見込めるため、少なくとも現在の状況より改善されるはずです。
mahounofuefukiさんは勤続年数で評価を行う事は妥当であるとお考えなのですか?
「現状はこうである!」これを無条件で是認してしまっては改善など出来ません。
論ずべきは「どうあるべきか」と「どうやったら出来るのか」でしょう。
勤続年数を主な評価とするなら、非正社員の待遇を抑制する論拠になります。この様に
勤続年数を持ち出したりする点を見ても、mahounofuefukiさんが非正社員の方を向いている
とは思えません。私は勤続年数の評定の度合いは出来るだけ低く抑えるべきだと考えます。

> 解雇規制を弱めればそれだけ失業リスクが上がる以上、
> 是が非でも会社に残ろうとして無理をしてでも働くので、労働時間は増える一方となる。
無理やりすぎませんか?解雇の圧力は、非正社員の方が強いはずです。
私の主張は正社員と非正社員との待遇の差を小さくする事ですから、解雇の意味が現在とは
変わってきます。またサービス残業でも無い限り、残業時間の増加はコストに
跳ね返りますから、労働時間が増える一方と言う事はありません。
サービス残業については別の問題でしょう。現在でも既に問題になっていますよね。

>だいたい氏も認めるように雇用流動化で「正社員のイス」をゲットできるのは
>「一定のスキル」をもつ人であり、長年非正社員の地位に押し込められて
>スキルを獲得できなかった人は雇用が流動化しても這い上がることなどできない。
まず、現在雇用が固定されてしまっている為にスキルを取得出来なかった人に対しては
その通りです。でも雇用を流動化しなければ、今後も「非正社員の地位に押し込められて
スキルを獲得出来ない人」を出し続ける事になります。それで良いのですか?
今現在スキルを持てていない人の対策は必要と考えますが、その人の存在を持って、
今後も同様な人を生み出す事を正当化するのはナンセンスです。
実のところmahounofuefukiさんは「非正社員の地位に押し込められて
スキルを獲得出来ない人」を無くそうなどとは考えていないのですね。

> 雇用市場の流動化はむしろ「格差」の固定化に寄与すると言えよう。
「寄与すると言えよう」って、、、
mahounofuefukiさんは転職を禁止した方が労働者にメリットがあるとお考えなのですか?
解雇の自由化?を反対するなら分かりますが、どう考えても雇用の流動化自体は
労働者の不利益にはならないと思います。(単に選択肢が増えるだけですから)
雇用の流動化に対する施策は必ずしも解雇の自由化だけではありません。
例えばmahounofuefukiさんの指摘された年功序列の制度を勤続年数ではなく
年齢や就業期間もしくはのべ労働時間に置き換えれば、転職のハードルは下がります。
私は文化的で健康な生活がおくれる事が保証される限り、格差の存在を是認します。
しかし現在の非正社員はそれが満たされているとは考えません。

> 非正規雇用を減らし、直接雇用・無期雇用の原則を確立して、法の力で企業に
> 「正社員のイス」を増やすよう強要するしかない。
希望者全員がイスに座われない限り非正社員は存在し続ける事になるんですよ。
これは法の力で企業に強要さえすれば「日本の労働者を全て正社員に出来る」
と言う事でなければなりません。
こんな法律を作っても「非正社員」なる労働者は確かに存在しなくなったけど、
労働者の半数は貧困層のままなんて事になりかねません。

私にはこれこそ「問題解決への見通しの甘さを曝け出して」いる様に思います。


***
>(「共通の土台」のない相手との議論は不毛だと私は考えている)
mahounofuefukiさんの考える社会はきっとmahounofuefukiさんにとっては
理想の社会なのでしょう。
でもそれは「共通の土台」のない私にとっても幸せな社会なのでしょうか?
少なくともmahounofuefukiさんにはそれを判断出来ない様に思います。
超能力者でも無い限り、話をする気もない相手の嗜好など、判る訳はありませんから。

その社会では某国の様に「共通の土台」を有しない人を粛正するのですか?




P.S.特に強く非難されている様に見える部分があったので追記します。

>もし「雇用待遇差別解消のための雇用の流動化」を主張するのならば、
>失業給付の大幅拡充やそれを可能にする「高負担・高福祉」の「大きな政府」を
>提唱しなければならない。単に雇用の流動化を唱えるのは、実際には待遇差別の解消など
>考えていないからである。
転職だけではなくリストラや倒産などでも失業が発生します。
私は転職に関してはそれほど問題だとは考えません。なぜなら会社に就労中でも求職活動は
出来ますので就職先が決まってから辞めれば良いからです。これなら失業する事はありません。
解雇の自由化?により解雇は増加するはずです。これに対しては解雇の予告期間を
充分に取る事によってある程度吸収出来るでしょう。例えば予告期間を1年としても
充分に有用な制度になると考えます。その上で解雇予告を受けた事を話さなくても
良い事にすれば、より有利に求職活動が進められるはずです。
会社の倒産の問題は私の主張する施策と関係があるとは思えません。
mahounofuefukiさんは正社員になる事に拘っている様ですが、
私は非正社員でも充分に生活が出来る様にすべきとも主張しています。
非正社員としての就労もセーフティネットになり得ます。
これでも失業給付が増大した場合は、労働者の雇用保険の金額が上がる事になるとは思います。
でもそれって「「大きな政府」を提唱しなければならない」って事でしょうか?
これらの指摘は失業時の生活保障の問題であって、待遇差別?の解消とは
関係無い様に思うのですが。

>正社員層には「被差別階層」を設定することで「ガス抜き」とし、非正社員層には経営者
>に向かうべき敵意を正社員層に振り向けることで、資本家は高みの見物ができるのである。
仮にその原因が財界の企みだったとしても、「原因を作った奴が悪い!」
と批判する事に何の意味があるでしょうか。
そうではなく、同じ労働者として正社員が非正社員に歩み寄る事が出来れば、
共闘して資本家なり経営者なり財界と戦う事が出来ると私は主張しています。
もっと建設的な話をしましょうよ!


===
一応推敲しました。

> 詭弁のオンパレードに失笑してしまった。
何で罵倒しかしないのですか?一つぐらい例を上げてください。
「転職」と指摘したのはmahounofuefukiさんの方ですよ。
ちゃんと引用した所に書いてあります。それともこっちかな?
「雇用を流動化しない」って事は「転職させない」って事でしょ。

> そもそもの土台が違うので建設的な議論ができるはずもなく、
私はそうは思いません。同じ考えの人ばかりで議論などしても、
同じ様な意見しか出ませんから議論が深まりません。
むしろ全く違う意見の方が学ぶ所は多いと思います。
そう思っているからこそ私は「アイディア合戦をしましょう!」と
申し入れているのですけど。。。

同じ土台の人が集まれば何を言っても皆が同意してくれるでしょうから、
きっと気分が良いのでしょうね。
でもそれは「お山の大将」って奴かもしれませんよ。

別に私宛でなくても構いませんから「非正社員がどうしたら幸せになれるのか」
について是非とも発表してください。

[2008年07月14日] 非正社員の「本当の敵」は正社員だ!

辻広雅文氏の「正社員のクビを切りやすくする改革は受け入れられるか」
(http://diamond.jp/series/tsujihiro/10011/?page=1)
に対してあるブログは以下の様に批判しています。

ここで、正社員の典型的な主張を示したいのですが、「正社員の典型」的な主張を行っている
著名人など見つけられませんので、『一般人』のブログから後半を抜粋させて頂きます。
この主張が特にエキセントリックであると言う事ではなく、ごく一般的(と書くと失礼かな)
ではありますが、とても良くまとまっているので取りあげました。

ネット上ではこの様な主張は多いと考えますが、ここにリンクを貼ると
個人に対する批判ととられ兼ねないので、引用元は当面伏せておきます。
(もしかすると著作権的に問題かもしれません。トラックバックを打っておきましたので、
リンクをしても構わないとの事であれば一言コメント欄にお願いします。)
以降当該ブログ主(および同様な主張をする人達)を便宜上A氏と呼ばせて頂きます。



 労働法制の解体を唱えるようなエリートは不思議と想像力に欠けていて、自分が実際に非正規雇用になって、昇給もボーナスもなく、場合によっては社会保険も厚生年金もない状態を考えはしない。あるいは考えても「実力」に自信があるためか軽視したがる。ましてや「ワーキングプア」やホームレスに自分がなる可能性など絶対に考えたことがない。考えたことがあれば、こんな暴論を唱えるはずがないからだ。

 辻広氏の記事の目的は明瞭だ。正社員を「既得権益」と称すことで、正社員と非正社員を分断し、非正社員が「正社員の解雇の自由化」に賛成するよう仕向けることである。これは「正社員を自由に解雇できるようになれば、あなたたちが正社員になれるチャンスが広がりますよ」という悪魔の囁きだ。今まで自分を見下していた正社員が没落する様を思い描いてカタルシスを得る者もいるだろう。
 しかし、それは問題のすり替えである。「正社員の既得権益」は本来「権益」ではなく「労働者の当たり前の権利」である。正社員に昇給やボーナスや社会保険があるのがおかしいのではなく、非正社員にそれらがないことがおかしいのである。それを修正するには正社員の待遇を引き下げるのではなく、非正社員の待遇を引き上げるほかない。
 非正社員が叫ぶべきは「既得権益を解体しろ」ではなく、「既得権益をおれにもよこせ」である。単に「上」と「下」が入れ替わるだけでは、差別そのものは存続する。「正社員の解雇の自由化」は「貧困と格差」の解消どころか、「全労働者の奴隷化」さえ招くだろう。

 だいたい正社員と言っても、現在ほとんどが成果主義による競争と過労で苦しんでいる。大企業と中小企業の格差や地域間格差も深刻だ。「既得権益」と言えるほど正社員が恵まれた状況にあるわけではない。最近は「ワーキングプア」化した「周辺的正社員」がクローズアップされているほどだ。
 正規・非正規雇用間には確かに矛盾はある。しかし、その解決は正規雇用の解体ではなく、非正規雇用の「正規」化と非人間的な労働環境の是正によってしかもたらされない。財界や御用メディアが目論む労働法制の解体は矛盾を拡大するだけだ。「本当の敵」を決して見誤ってはならない。



確認しておく点がふたつあります。

第一に、このブログ主(A氏)は、
「今まで(非正社員である)自分を見下していた正社員」
「単に「上」と「下」が入れ替わるだけでは、差別そのものは存続する。」
の様に、正社員の非正社員に対する差別の存在を認めています。


第二に、A氏は正社員の既得権益(「当たり前の権利」)を守る事を絶対条件としています。
>「ワーキングプア」やホームレスに自分がなる可能性など絶対に考えたことがない。
>考えたことがあれば、こんな暴論を唱えるはずがないからだ。
辻広雅文氏(や私)とA氏との一番の違いがこれでしょう。
A氏は、自分に都合の悪く(「ワーキングプア」に)なる様な主張を唱える事を『暴論』と呼んで、
「『暴論』(自分の都合が悪くなる様な主張)を唱えるはずは無い」と主張します。
この思考形態は、政治運動のものです。
政治運動とは自分の利益が最大になるように社会を変えようとする働きの事です。

個人の利益ではなく日本という国全体を良くしようとするなら、
現在の自分のポジションを顧みてはいけません。
社会全体としての公平、平等等の観点から制度を設計しなければならないからです。
自分の既得権益を守る事を前提にすると言うなら、公務員制度の改革において
公務員が天下りを死守している事と同じです。
自分の利害から離れない限り、制度改革など出来ません。


>  だいたい正社員と言っても、現在ほとんどが成果主義による競争と過労で
>苦しんでいる。大企業と中小企業の格差や地域間格差も深刻だ。
>「既得権益」と言えるほど正社員が恵まれた状況にあるわけではない。
>最近は「ワーキングプア」化した「周辺的正社員」がクローズアップされているほどだ。
ごく一部の事例をことさら取り上げる事によって事実認識を歪めようとしている様に思います。
本当にそうなら「全労働者の奴隷化」でも問題は無いはずです。
大多数はそうではないから「正社員の解雇の自由化」を暴論と言うのではありませんか。
A氏の主張は自分(ある程度恵まれた正社員)の事しか考えていない身勝手なものと言えます。

「正社員の解雇の自由化」の目的は雇用の流動化です。
現在の正社員の椅子を椅子取りゲームとすれば、正社員が「既得権益」に
しがみついている為に、椅子が全く空かない状況に例えられます。
もし一定数の解雇が発生する様になれば、椅子の空きが発生し椅子取りゲームが始まります。
これが雇用の流動化なのです。そして雇用が流動化されれば「成果主義による競争と過労」
の軽減も望めます。なぜなら、そんな無理を要求する会社は辞めれば良いからです。
現在の雇用状況に於いては、一度正社員を辞めるとおいそれと正社員に戻る事は出来ません。
会社は正社員達が「既得権益」を手放したくない(もしくは「奴隷」にはなりたくない)と
考えている事を理解していますから、無理を押し付ける事が出来るのです。この様に
「周辺的正社員」の問題も雇用の流動化が阻害されているからこそ発生していると言えるでしょう。

雇用が流動化されれば辞めたり解雇された場合でも一定のスキルを持っている人であれば、
次の正社員の椅子を得る事が出来る様になります。しかし現在の状況では、
一度正社員の椅子を手放すと、次の椅子を手に入れる事は非常に難しくなります。
これを自己責任を呼ぶなら、正社員の椅子をみすみす手放した事が問題とされるのでしょう。
正社員も好き好んで椅子にしがみついている訳ではありません。

学校を卒業してすぐに自分に最適な仕事や会社を見つけられる事など奇跡に近いと思いませんか?
現在の日本の雇用制度は新卒でたまたま入社した会社に(労働者である)自分を合わせる事で
成立しています。自分に合った仕事ではなく、仕事に自分を合わせているのです。
こんな非人間的な仕組みで良いのでしょうか?
様々な仕事や会社を通して、自分に合った仕事や会社を見つけられた方が良くありませんか。

この様に雇用の流動化はたまたま正社員になる事が出来た人の為にもなるはずです。
非正社員である事が自己責任と呼べるのは真に雇用が流動化された後です。
(非正社員を選んだ。もしくは一定水準のスキルを獲得出来なかったとの意味で)


> 非正社員が叫ぶべきは「既得権益を解体しろ」ではなく、「既得権益をおれにもよこせ」である。
全ての人が「既得権益」を得る事はできません。
A氏のこの主張を裏返せば「正社員は関係ない!非正社員が勝手にやれ!」との主張になります。

>「正社員の既得権益」は本来「権益」ではなく「労働者の当たり前の権利」である。
正社員、非正社員どちらも同じ労働者です。確かに経営者の視点から見れば、
どちらも単に労働力に過ぎませんから非正社員を差別する必要はありません。
少なくとも経営者は、労務費に変化が無い事を前提とするなら、解雇しずらいと言うリスクを持つ
正社員の待遇が抑制されるので、非正社員と正社員の待遇を同じにする事自体を反対しない所か
歓迎さえするはずです。(前述の「無理を要求」出来なくなる点では逆に動くでしょうけど)


A氏の言う様に非正社員が労働者として「当たり前の権利」を得ていない存在であると考えているなら、
# 「今まで(非正社員である)自分を見下していた正社員」
# 「単に「上」と「下」が入れ替わるだけでは、差別そのものは存続する。」
などの差別があるはずはありません。
むしろ経営者ではなく正社員の方が「見下して」「下」(「奴隷」)と差別する対象を必要としているのです。
待遇の格差を求めているのはむしろ正社員の方なのではありませんか。

私は多くの非正規雇用の人達の待遇は看過できる範囲を越えていると考えます。
(労働者として「当たり前の権利」が認められていないのですから、A氏にも賛同頂けるはずです。)
本当に正社員の人達が非正社員が不当な待遇だと考えるなら、一時的に自分の待遇を落としてでも
非正社員の待遇を上げる事について同意すべきです。その後で、正当な対価を正規非正規を問わず
全労働者で労働運動でもして確保すれば良いではないですか。
全体としては少数の上、立場の弱い(解雇しやすい)非正社員のみで行う労働運動の効果に
全く期待など持てません。

仮に「全労働者の奴隷化」になったとしても、少なくとも全労働者の利害は一致するはずです。
私には正社員と非正社員を分断しているのはむしろA氏の主張の様に思えます。



[2008年06月11日] 朝日新聞の本質:「わかっている」人、「わかっていない」人

名無しの権兵衛さんから、
当BLOGの『[2005年07月16日] 「新しい」教科書』にコメントを頂きましたが、
長くなったのでエントリを立てました。

> 中途半端な問題提起により、現実に国内外が混乱している
> ←とあるがわかっている人はきちんと理解しているし
> 朝日新聞は何が問題かも伝えている。一方的な考えとしか思えない。

私は朝日新聞を『評価』する人は「わかっている」人なのだと思います。
「わかっている」人と「わかっていない」人とでは、
「わかっている」人の方が頭が良いと考えがちです。
でも「わかっている」人は本当に「わかっている」のでしょうか。
名無しの権兵衛さんが拘っているのは、当該教科書の記述でも
教科書がふさわしいかどうかでもなく、朝日新聞についてです。

私は朝日新聞は「わかってないなぁ」と一段上から見下した書き方をしている様に
思います。このためリスクを負わずに他人を馬鹿にしたい人にとって朝日新聞は
バイブルになりますし、議論ではなくテクニックによって自分の主張を通そうとする
手法に反発を持つ人は朝日新聞を批判します。
朝日新聞には「何でこんな事が分からないのか。信じられない」とのメッセージが
織り込まれています。朝日新聞に同調しなければ「こんな事も理解出来ない馬鹿」と
言われる事になりますから、自分が馬鹿と思われたくない人は朝日新聞を批判など
出来ない様になっています。むしろ「自分は頭が良いのだ」と思いたい人は
「朝日新聞は素晴らしい!」と積極的に主張する事になります。

「批判精神」との言葉が言われます。
私は批判精神の本質は『批判』にあるのではなく、
既存の常識と言う先入観から離れて「自分なりの考えを持つ」事なのだと考えます。
「自分なり」である以上、全く同じと言う事はあり得ません。
そこから『批判』が生まれるのです。
議論の相手を批判する『テクニック』ではなく『精神』なのです。
朝日新聞の主張は『テクニック』に基づいたもので
そこには『論拠』も『精神』も存在していない様に思います。
名無しの権兵衛さんは朝日新聞の主張に全面的に賛同するのですか。
朝日新聞の主張には不足する点や誤りはありませんか。

名無しの権兵衛さんは何を「わかっている」のでしょう。
朝日新聞の主張が「わかった」としてそれに何の意味があるのでしょう。
暗に朝日新聞は「これがわからない奴は馬鹿だ!」と言っているのですから、
「わかった私は馬鹿ではない」と言わされているだけなのではありませんか。
朝日新聞が常に正しい事を言っている保証はありませんから、
「わかっている」名無しの権兵衛さんは朝日新聞の主張をどの様に評価されますか?
「わかった」事で満足していてはいけないのです。


では逆に、この様な場合はどうでしょうか。

> # 「朝日新聞社」の新聞について、本BLOGはエントリーで
> # 「選民思想に基づき、論拠も挙げず対象を無能者と決め付けて批判を退ける書き方
> # をしていて、新聞としてふさわしくない」と主張してきた。
> # だから朝日新聞は廃刊にすべきである。
> わかっている人はきちんと理解しているし、本BLOGは何が問題かも伝えている。

「わかっている人」以外は、例え私のBLOGを読んでも「わからない」人は
「新聞としてふさわしくない」かどうかの判断が出来ませんよね。
これでは議論になりません。
朝日新聞や名無しの権兵衛さんはこの様に主張されているのです。
「わからない人」は当然「批判を退ける様な書き方」とは何だ?と思うはずです。
本来なら「わかっている人」は「わからない人」に説明をすべきです。
でもそれをしない。それって「馬鹿に説明するだけ無駄だ!」って事なのでは
ありませんか。(「問題提起が不十分」とはこの様な意味です)

新聞社がすべきは「自社の主張に同調しない人を黙らせる」事ではなく、
「皆に主張を理解してもらう」事です。
皆がその主張に賛同しなかったのなら、それは朝日新聞の言葉に力が無いか
朝日新聞の主張に義が無いかです。決して大衆が馬鹿だからではありません。

他人を馬鹿にする人は、自分の無能を認められない人に過ぎないのです。

[2008年05月09日] 小倉弁護士は『怪我人』だと考えて見る

以降『どこの誰だか分からない人のコメント』
(http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2007/02/post_5dbb.html)
とそのコメントを基に小倉さんの気持ちを考察してみます。
私自身小倉さんとは何の面識もなく、小倉さんのブログや著作について
全くと言って良いほど読んでいない事もあり、以後述べる事は、
あくまで私個人が当該記事を読んでの解釈に過ぎない事を理解願います。


# 小倉さんは「どこの誰だか分からない」「自分よりも左側の思想傾向を有する
# ブロガーに対しては執拗に嫌がらせや嘲笑を加える」『ネット右翼』に攻撃された。

原因や表現方法については様々な『見解』が存在すると思いますが、
事実関係に異論を挟む人はいないのではないでしょうか。
きっとこの事により、小倉さんは心に『傷』(トラウマ)を負ってしまったのです。
少なくともこの『結果』は小倉さんの予期していたものとは違ったはずです。

私は小倉さんはネットデビューに失敗したのだと思います。
普通の人なら、未知のネットと言う場に「こわごわ」「おっかなびっくり」
参加するはずです。ところが小倉さんは「インターネットの専門家」として
鳴り物入りで商業ページに華々しくデビューを飾りました。

しかもネットでの振る舞いや、ネットのリアクションがどの様な物なのかも知らず、
常識人である小倉さんは、小倉さんの信じて疑わない
『現実社会の常識』に従って記事を書いたのです。
これは今まで滑り台から飛び降りても怪我をした経験が無いからと言って
パラシュートも無しに清水の舞台から飛び降りる様なものです。
当然の事ながらクラッシュして全身『傷』だらけになりました。
(結構死なないらしいですよ;パラシュートも意味無さそうですけどね)

私はわざと挑発的に振る舞っていると思っていたのですが、
小倉さんはもともと不必要に挑発的な物言いをされる方なのかもしれません。
現実の社会であれば、ある事を言ってもせいぜい周囲の数人にしか伝わりませんし、
その刹那言葉は消えてしまいます。既存のテレビ、ラジオ、新聞等のメディアでは
言いっぱなしで直接リアクションが返ってくる事はありません。
しかしネットは一つの発言が同時に何万人の目に触れる事もあり得ますし、
ネットでの発言は半永久的に残るのです。
のべにすれば何人の人がその記事を目にするのか想像さえできません。
しかもネットは双方向でリアルタイムなため、リアクションが直に戻ってきます。
『直に』と言う事は「勢い」「ノリ」でリアクションをする事でもあります。

通常の生活やテレビ、新聞のつもりでネットを行えば、きっとそのリアクションに
驚くはずです。一般人とは違って小倉さんやメディアの人達の様な『語り部』は
『根拠の無い自信』だけで準備も無しにネットに飛び込んでしまった様に思います。
そして当然の様に彼らは『大怪我』をします。メディア関係者が
必要以上にネットを危険視するのは、この様な理由ではないかと考えます。

『傷』を負った彼らは主張します。「静かにしろ。『傷』が疼く!」と。
でも傷を負っていない健康な人間は、適度なスキンシップを求めます。
怪我人を放っておいて良いと言う事はありませんが『怪我人』の主張は極論です。
むしろ怪我を直す事の方が必要でしょう。

『怪我人』達はネットの向こうにある『顔』を想像する事が出来ないのです。
『顔』を感じる事が出来ない為に、実名に拘るのかもしれません。
出会い頭に『怪我』を負った彼らは「ネットは怖い所だ!」としか学べませんでした。
この様な認識を持っている人は常に周囲を警戒します。それはすなわち
「人を見たら泥棒と思え!」と言う事ですから皆の反感を買う事に繋がり、
より一層「ネットは怖い所だ!」との確信を深める事になります。
この「疑心暗鬼のスパイラル」に一度嵌まってしまうと脱出する事は難しくなります。

私は『怪我人』達はネットを理解する機会を逸した様に思うのです。
顔が見えないネットだからと言っても所詮は人間の営みです。
先にも述べた様に、ネットにおいては一つの発言を大勢が目にする事になります。
小倉さんから見れば大勢であっても、その一人一人からすれば小倉さんと
一対一で話しているに過ぎません。その事が理解出来さえすれば
『ネット右翼』は単なる「普通の人達」である事が分かるはずです。
小倉さんからすると「執拗に何度も」に見えるでしょうが、
きっと多くの場合「一人一人が一度だけ」発言しているに過ぎないのです。
これが『コメントラッシュ』の正体です。

テレビを見ていて「こいつ馬鹿じゃないの!」などと呟く事はありませんか?
ネットではそれが伝わってくるのです。ネットでは
これら何万人もの「馬鹿じゃないの!」が小倉さんに放たれる事になります。
ネットで人が変わったのではなくて、通常では伝わらない事までネットは伝えます。
確かにネットには執拗な人もいます。でも実社会でもその様な人は少なからず
存在しませんか?大勢の人と関わればその様な人と巡り会う確率は増えます。
ネットだから執拗であるとは言えないのではないでしょうか。

『学校裏サイト』なるものも実社会における『陰口』なのだと思います。
ただ、ネットでの発言は『陰口』の様に消えてなくなったりしません。
半永久的に残るのです。『裏サイト』においてもきっと書いた方は書きっぱなしで
読み返したりしないはずです。しかし悪意だけが『記録』として残ります。
私はネットは人の悪意を増幅させるしくみなどではなく、
現に存在している人の悪意を目に見える形で提示しているだけの様に思います。

この様なネットの特性を理解した上で、小倉さんやメディアの関係者はネットに
向かうべきだったのです。彼らは「自分は何でも出来る」と傲っていました。
その鼻柱を折られたのです。
おっかなびっくりネットを始めた人は、失敗する事を予想しています。しかし
自惚れの強い彼らは失敗した自分など想像だにしなかったでしょうから、
予想外の出来事に狼狽えます。そして安直に
「ネットは危険だ。何とかしなければ!」と考えるのでしょう。

安全ではないと言う点では実社会も同じです。でも実社会に出るまでは
家族や学校が十数年も掛けてトレーニングをしています。
人間は生まれてすぐに社会に放り出されても生きてはいけません。

実社会同様ににネットは安全な場所ではありません。安全ではないからこそ
準備運動が必要なのです。問題にすべきは何ら準備をする事なく無謀にも
ネットに飛び込んでしまったメディア関係者や小倉さんの方ではないでしょうか。
私はネットが危険だと言う以上に、
準備もせずにネットに飛び込んで行った人達の行為こそが危険だと考えます。

このため私は小倉さんの主張は「『傷』が痛い。助けてくれ!」
との叫びだと思えてきました。(当該記事においての『実名』は
小倉さんの安心(踏みとどまるべき「一線」)を担保する為の物とされています)
私たちは彼らの声を聞くべきです。でも『失敗者』(失礼!)の主張する解決策が
必ずしも正しいとは限りません。
失敗してしまったと言う事は見落としや錯誤の結果なのもしれませんから。

私は希望者が自分の責任においてネットを実名で行う事自体を否定しません。
でも、私は小倉さんには『リハビリ』が必要だと思います。
小倉さんは一度匿名でネットをすべきなのです。
ネットでは匿名も許されているのですから別に卑怯な行為にはあたりません。

『弁護士小倉秀夫』の看板を下ろすと、随分楽になれるはずです。
果たして匿名になると小倉さんでさえも悪いことをしてしまうでしょうか?
匿名でのネット体験は小倉さんの見識を広める事にも繋がると思います。

仕事としてではなく、一緒にネットを楽しみませんか。

[2008年05月08日] 実名制の弊害ーネット実名制のもたらすもの

以下は、ネットを実名にすべきとの主張をお持ちの小倉秀夫さんの
ブログ記事『「ネット」による弾圧から表現の自由を守る』
(http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2008/05/post_2614.html)
に対するコメントです。5月3日から2回程投稿したのですが、
未だに掲載頂けません。

「言論の自由を守る」と主張される弁護士先生のブログですから、
間違いなく掲載頂けると信じております。
お忙しいとは思いますが、処理方お願い致します。
(念のために当該エントリにトラックバックを打っておきましたが、
コメントの反映もお願いします。)


(5/9 01:00上取り消し、下追加)
| これとは別のコメントについてですが小倉さんからメールが来て、
| 許可出来ないとの事でした。個人のブログだからしょうがないですね。
| 一生懸命に書いたコメントが無くなっちゃったら怒りますが、
| 私はローカルで持ってますから無問題?



----
# 「チベット問題をめぐる学内対立の回避を呼びかけた中国人女子学生が、
# 学内の留学生を含む中国人社会から脅迫や嫌がらせを受けている。」
# 事に関するものです。

これってネットの問題なのでしょうか?
抗議や脅迫が電話やFAXではなくネットなのは、単に「手軽だから」ではないでしょうか。
もしこれが電話やFAXだったら同じ理屈で「電話の問題」や「FAXの問題」となるはずで、
小倉先生は「「電話」による「弾圧」から「表現の自由」を守れ」と
主張されるのでしょうか?公衆電話から掛ければ、匿名になりますしね。
ネットと言う通信手段が電話に比べて特段問題であるとは思えません。

> 直後に王さんの個人情報がインターネットでばらまかれ
おそらくネットと電話の最大の違いはこれです。
電話等と違ってネットは1対多の通信である為に現象が拡大されます。
きっと先生は上の文章の中の「インターネットで」に注目されたのでしょう。
しかし私は先生とは違って、問題は「個人情報がばらまかれ」だと考えます。

ネットで「個人情報がばらまかれ」る事さえなければ、
個人への『弾圧』は起きなかったのではないでしょうか。
だとすれば「個人情報の開示を禁止」すべきです。

このため私は先生の「実名を公開すべき!」との主張に反対します。
誰でも発言者が特定出来てしまうとしたらクリティカルな主張をした時点で
(「個人情報をバラ撒く」までもなく)個人(実生活)に対する『弾圧』が行えます。
実名の公開はむしろ言論の自粛をもたらすのではないでしょうか。
この延長線上で「悪人は減る」でしょうが、それは言論の自由を守る事にはなりません。

個人が特定されなければ矛先が個人に向かう事はありませんから
批判の対象は『発言者』ではなく『発言内容』に成らざるを得ません。
『発言内容』に対する批判は建設的なものになりますし、言論で対抗可能です。
これこそ「言論の自由」ではないですか。

むしろ「匿名を堅持する」事の方が言論の自由を守る事に繋がると考えます。

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