イギリスの息の掛かった地域では、某宗教の祝の日の翌日にみんなでボクシングをするための日があるそうな。
日本ではその前夜の方が有名だが、今日はその宗教の
祝の日だ。だが、敢えてその宗教の信者が強く反対する
『靖国』問題について述べる。
A級戦犯がどうこうと理屈を言う人がいるが、
宗教とは本来『信じる』事を前堤にしている。
理屈など全て後付だ。
神が存在するかどうかなど、気にする事自体
ナンセンスなのだ。そんな事が気になる人は、
そもそも『信じて』などいない。
理屈などではない。何を『信じて』その行動を
とっているのか、それこそが問題なのだ。
私にも、あなたがたの宗教の問題点を理屈や歴史に
かこつけて、いくらでも挙げることが出来る。
でも、それはしない。
なぜなら宗教の本質はそんなことではないからだ。
なぜ、そんな詰まらないことばかり気にするのだろう。
靖国問題を語る上で大切なのは、
外国人がどう見ているかではない。
また、総理の意図さえも大した意味は無い。
気にすべきは、日本人の行動として
どのような意味があるかだ。だから、
外国人の価値観で判断すべきではないのだ。
そのため、国民が問題だと思えば問題だし、
問題では無いと思えば問題ではないと言って良い。
その結論に対して、外国がどう判断するかは別問題だ。
国内外で、利害や見解の相違があるのは当然だ。
国民が問題だと思うなら総理を交代させるべきだが、
問題だと思っていない事を批判されたからといって
変えるのは、慎重にする必要がある。批判した方は
「間違っていたから改めた」と取るかもしれないし
「強く言えば言うことを聞く」と思うかもしれない。
悪くないと思っているなら、
面倒臭がらずにきちんと説明しなければいけない。
そうしないと、理解し合うと言うことは
永久に出来なくなってしまうのだ。
しかしながら、少なくともあなた方は問題だと
主張している。
では、あなたは果たして総理が毎週あなたの宗教の
宗教施設で礼拝を行ったとしても「政教分離」と
非難するだろうか。
アメリカの大統領が就任式であなたの教典に手を置いて
宣誓するのは、どうなのか。
「信仰の自由」を言うなら「参拝するな」と言う方が、
問題ではないのか。
日本の総理大臣は参拝すべきではないと言うが、それは
信仰の自由や表現の自由などとの問題にはならないのか。
総理大臣だけで、国会議員は構わないのか。公立学校の
先生はどうなのか。裁判官はどうか。公務員は?
また、特定の宗教を名指しして、
(信者が主張しているならともかく)勝手に
「この宗教を信仰するのは戦争を肯定することだ」
というレッテルを張るのもどうだろう。
あなたの宗教だって過去に沢山の人を、それも
「『神の名』において」殺してきたではないか。
宗教など、多かれ少なかれその様な要素を含んでいる。
例え教えが正しくとも、不完全な人間が神の考えなど
そうそう理解などできるものではない。
そして宗教を運営しているのも不完全な人間なのだ。
過ちはくり返してはならない。一方で、
過去の過ちを『許す』ということも
あなたの宗教では謳っていたはずだ。
それに誰もが知っている通り、あなたの宗教を
信仰している人も戦争を始めたではないか。
問われているのは宗教ではなく、日本人の心の持ち方だ。
総理は国民が選んだのだ。総理が先の戦争を正当化
しようとしていると国民が思っているなら、
それは総理を選んで罷免もしない国民の総意だと
言っていい。外国にはそう伝えるべきだ。
だが私は、日本国民は総理が参拝することを、
そうは捉えていないと思う。それで充分ではないか。
宗教の勢力争いの道具にするのは、止めてもらいたい。
外国が問題にしているのは日本人の戦争に対する姿勢だ。
それをきちんと説明すること。
それこそが日本人がすべきことだと思う。
もし、あなたの宗教を信ずる総理が誕生したのなら、
私は堂々と礼拝して欲しいと願っている。
(因にboxingは、「贈り物をする」と言う意味です)
メリー クリスマス
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