大阪大学教授 牟田和恵氏がNHKの視点・論点(2007年09月27日)で
「生きる基盤の充実と新たな家族像」について主張しています。
(http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/4769.html)
氏は、こうして話を始めます。
> 男女共同参画社会基本法は、現在、男女平等への流れを逆行させようとする勢力の
> 抵抗にあっており、法の廃棄を目指す動きすら出てきています。
> こうした勢力に屈することなく、基本法を守っていくことが重要ですが、
> しかしまた、真に生きやすい社会を作っていくには、
> 法を創造的に発展させていくことも必要でしょう。
私は氏の主張自体に対してはそれほど異論を挟むつもりはありませんが、
氏のスタンスについては大いに違和感を感じます。
「男女平等への流れを逆行させようとする勢力」
「こうした勢力に屈することなく、基本法を守っていくことが重要」
なぜならこれらは、アジテート(煽動)の言葉だからです。
氏はきっと「男女平等」は正しく「男女共同参画社会基本法」は有益で
「基本法を守っていくことが重要」だと考えているのでしょう。
しかしながら氏にとってこれらは説明をするまでもなく『自明』な事
なのかもしれませんが、これを一切説明せず 前提にしてしまっては、
教育者としても評論家としても学者としても失格です。なぜなら氏も認めている様に
「男女平等への流れを逆行させようとする勢力」が存在するからです。
彼女にとって『自明』な事だとしても『自明』であるとは考えない人が存在するのです。
これでは『手前勝手』な主張しか出来ません。
氏の主張が『手前勝手』であるがために、彼女の意見に反対する人達を
『勢力』と呼ぶ事になるのです。
もし、大学教授である彼女が授業でこの様な主張をしているとするなら、
私は彼女の授業は『有害』であるとさえ考えます。
彼女は自分の主張を押し付けているだけなのですから。
仲好しグループ内ではなく大学やテレビで話す時は、
「男女平等はこの様な理由で大切ですから、
男女共同参画社会基本法はもっと創造的に発展させていく必要があります」
と主張しなければなりません。彼女の本当に主張したい事は
「男女共同参画社会基本法はもっと創造的に発展させていく必要がある」事でしょう。
そしてなぜ「創造的に発展させる必要」があるのかと言えば「男女平等が大切」だから
に他なりません。この説明を抜きにしてまともに主張する事など出来ないのです。
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社説で、数社が沖縄戦の「集団自決」についての教科書検定を取り上げています。
> そもそも、教科書の執筆者らは「集団自決はすべて日本軍に強いられた」と
> 言っているのではない。そうした事例もある、と書いたにすぎない。それなのに、
> 日本軍のかかわりをすべて消してしまうのは、あまりに乱暴というほかない。
(朝日新聞2007年09月30日(日曜日)付社説『集団自決―検定意見の撤回を急げ』)
> 沖縄の人々にとっては、集団自決が「軍の関与なしには起こり得なかった」
> というのは「紛れもない歴史的事実」なのである。
>
> 体験に基づくこの事実認識は重い。文科省も無視するわけにはいくまい。
> 「軍関与の程度」にこだわり続ければ、歴史の事実に目を背けることになる。
(2007/09/30付 西日本新聞朝刊社説『「事実」から目をそらす愚 「集団自決」検定』)
新聞社も牟田和恵氏と同様なスタンスで論じています。
これら新聞社にとっては『(日本軍の関与は)紛れもない歴史的事実』なのでしょう。
でも、そうは考えない人もいるのです。
検定では「日本軍の関わりは無かった」とされた訳ではありません。
「そうした事例もある、と書いたにすぎない」事を教科書に載せるかどうかは、
(個々の事例を全て挙げる事など不可能ですから)議論の余地が残っています。
新聞社は是非とも教科書に「(日本軍に強いられた)そうした事例もある、と書いた」
方が良いという事を主張すべきなのです。
> 伊吹前文科相は「大臣が検定に介入できるという道を私の代で開きたくない」
> と述べた。専門家の審議会を通ったものなので、口出しできないとの理屈だ。
> (中略)
> 沖縄戦をめぐっては検定が変わったことがある。82年の検定で、日本軍による
> 「住民殺害」の記述が削られたが、当時の文相が「県民の心の痛手に対し、
> 十分な配慮がなされなければならない」と答弁し、記述は復活した。
>
> 問題の教科書は来年度から使用される。ことは急を要する。
> 渡海文科相はただちに検定意見を撤回すべきだ。
(朝日新聞2007年09月30日(日曜日)付社説『集団自決―検定意見の撤回を急げ』)
朝日新聞は「『正しい』事の為には原則を無視しても構わない」との
考えを持っている様です。
前例があるにしろ、一政治家に過ぎない文科相が教科書の記述に口を挟む事は
果たして正当化されるのでしょうか。
新聞社は文科相ではなく、読者(国民)に訴えるもしくは『審議会』に対して
見直しを迫るべきなのです。
なぜそうしないのかと言えば、審議会は『専門家』であるからではないでしょうか。
『専門家』に文句を言っても勝ち目は無いから、政治家に圧力を掛ける事にした
と言うのは私の考えすぎでしょうか。
私は新聞社が自社の(『正しい』と考える)主張を通す為に
メディアを通じて政治家を動かす事には反対です。
例え本当に国益(主権者である国民の利益)に利する事だとしても、
新聞社は直接政治に口出しすべきではないと考えます。
メディアは国民に自分たちの主張を理解してもらう以上の事をしてはならないのです。
政治は国民の手で動かさなければなりません。
国民こそが主権者なのですから。
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久しぶりにのぞかせてもらいました。
集団自決の教科書問題は話題に登っていますね。これも左派の朝日にとっては格好のネタなのかもしれません。けど朝日のスタンスには私も相当違和感を感じます。困ったものですね・・・・。
この記事を私の参加している掲示板に引用させていただきました!
マスコミ・政治・男女・環境・仕事など。多岐にわたる板があり、それぞれ事実を追求している掲示板です。
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