読売新聞新聞週間「裁判員制度と報道の使命(10月14日付・読売社説)」によれば、
> マスコミ倫理懇談会全国協議会の大会(9月、福井市)での、
> 最高裁刑事局・総括参事官の講演に、参加者(新聞、放送、雑誌などの記者)たちは驚いた。
のだそうだ。
> 「裁判員が予断や偏見を持たぬよう、事件報道の際には様々な配慮を求めたい」
「新聞、放送、雑誌などの記者」は、一体この発言のどこに驚いたのだろうか。
司法関係者ではない一市民としても参事官の発言は至極当然の事の様に思う。
私は「参加者(記者)たちは驚いた」事に大変驚いた。
> だが、基本は法曹三者が全力で取り組むべき課題であり、
> 報道を過度に縛るのはお門違いだ。
一見もっともな指摘ではある。しかしながら最高裁刑事局・総括参事官の講演が
「マスコミ倫理懇談会全国協議会」で行われた事をお忘れなのか。
マスコミの倫理を問題にしている場での発言なのだから、記者達は反発するより前に
「どうしたら、今以上に裁判員が予断や偏見を持たぬように報道できるのか?」と
考える事をしないのだろうか。
> 市民は報道に“汚染”されやすいという決めつけ自体、
> 裁判員に対する法曹三者の偏見ではないか。
> 市民の健全な常識を裁判に反映させることが、制度導入の趣旨だったのではないか。
これを市民を馬鹿にしていると理解すべきではない。
プロ意識の裏返しであると考えるべきなのだ。
なぜならこの発言は「マスコミ倫理懇談会全国協議会」で述べられたからである。
そのため参事官の発言は「裁判員が予断や偏見を持たぬよう様々な配慮を求めた」
と文字通り理解すべきであるし「予断や偏見を持たぬ」事の困難を痛感している
司法の当事者としての発言としても充分理解出来るからだ。
記者たちは司法関係者とは比較にならないほどの情報リテラシーを持っているため
「予断や偏見を持たぬ」事が容易いと考えてしまうのか、
本当の意味での情報リテラシーを理解していないのかのどちらかなのだろう。
現実の社会において差別や偏見が無くならない事を見ても、
(記者ではなく)市民が「予断や偏見を持たぬ」事が困難である事は自明であろう。
素人である裁判員に不適切な報道の中でさえ「予断や偏見を持たぬ」事を望むより、
プロであるはずの記者達に協力を求める事のどこに問題があるのだろうか。
私は参事官の主張が特別奇異であるとは思わない。
読売新聞同様に河北新報10月1日の社説でも「大丈夫、素人を信じましょう」との
主張が見られる。「相手を『信じて』いるから(配慮しなくとも)大丈夫」
一体これのどこに『プロ意識』や『職業倫理』が存在するのだろうか。
少し本題から外れるが、参事官は河北新報の言う「同時代の感情」で判決を下す事こそを
心配している様に思う。これでは中世の魔女狩りの様な民衆裁判と同じになってしまう。
人々の感情を「マスコミによって作り上げられた虚像」と主張する人はいないだろうが、
決して裁判は「同時代の感情」で裁いてはならないのだ。
報道の目的とは記者の「戦(せん)慄(りつ)や怒り」「感情」を伝える事ではなく、
現場に居なかった人にその場にいたのと同じ『体験』をさせる事である。
(その場に居合わせた特定の人の「感情」を伝える事では決してない)
そのため『適切な』報道は必ずしも裁判員制度に反するものではないばかりか
有益でさえある。しかしながら記者自らが「同時代の『感情』」等と主張している限り、
その報道はおそらく裁判員制度に害を為すものだと言って良い。
私には参事官の『懸念』は充分に理解出来る。
> 裁判員制度の下でも、事件報道の意義、メディアの基本姿勢は不変である。
結局読売新聞は、報道姿勢について「現状のまま何一つ変える必要は無い」と宣言したのである。
「『読者の誰一人予断や偏見を持つ事が無い』この様な記事を書き続ける」
絶対に不可能とも言える『理想』を目指す事こそが『プロ意識』であり『職業倫理』なのだ。
「これで良い」と考えた時点で、そこには『倫理』も『プロ意識』も存在しないのである。
「マスコミ倫理懇談会」なる大会を開く事は結構ではあるが、
記者のひとりひとりに『職業倫理』なるものが存在するのか疑わしく思う。
---
P.S.
全く本題と関係無い事だが、私は「戦(せん)慄(りつ)や怒り」
の様なルビの振り方について違和感を覚える。
熟語と言うものは、単に文字が並んだもの以上の存在である様に思う。
ルビは文字毎ではなく、熟語毎に振るべきだ。
「戦慄(せんりつ)や怒り」の方が良いのではないか。
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私は、貴ブログをいつも拝見させていただいている者です。
私達も、「日本を守るのに右も左もない」(旧Trend Review)というブログを運営しています。
'05年小泉郵政選挙の自民圧勝をみて、このままでは日本はアメリカの属国にされるという危機感を感じ、'06年当ブログを立ち上げました。ところが、先の参院選で自民党が大敗し安倍首相が退陣しても、郵政民営化は強行されるなどアメリカの日本支配は着々と進行しています。
また、マスコミによる情報操作や世論誘導によって、こうした流れが加速していると言わざるを得ません。
今や、左右両派が対立している場合ではありません。それぞれの思想・信条の違いを超えて、日本を守るという一点において各派が結集し、問題構造を読み解いてゆく必要があります。
左右の違いを超えて心ある人々の結集を図っていく、そういった趣旨で、ブログ名を「日本を守るのに右も左もない」としました。
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