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[2007年12月31日] 宮台真司『新しい知識人』考

みやだい・しんじ『出でよ、新しき知識人  「KY」が突きつける日本的課題』について
(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=598)

「KY」を騙る時「空気が読めない人」を問題にする立場と
「空気嫁!」と言う人を責める人が存在する様に思います。
きっと前者は実生活で「空気嫁!」と言う(思う)人で、後者は言われる立場なのでしょう。
宮台先生は前者で、私は後者の様に思います。


> (宮台先生が自民党にロビイ活動をしないのは)
> 90年代半ばからの絶対得票率趨勢分析をすれば自民党に未来がなかったのだから仕方ない。
> 自民党ごときにひきずられて沈没したくはありません。
これでは勝ち馬に乗りたいとの宣言にしか思えません。
ここは先生ご自身の『知識人』としての心意気を示す場面でしょう。
何せこれから「新しき知識人」について論じるのですから。
例え嘘でも「与党より野党を支持した方が日本の為になる!」位の事を言うべきです。
後述しますが日本の知識人と呼ばれている人達は、知識人面はするものの、
自負みたいなものが決定的に欠如している様に感じます。


> [周囲の空気がそのまま自分に感染してしまう事態の例として]
> 北朝鮮の拉致家族帰国問題で、当初は「救う会」を熱狂的に支持した“ネット右翼”が、
|> 掌を返したように(試合で反則した亀田親子の)バッシング側に回ったのが、典型でしょう。
|「救う会」を支持するなら、反則した人をバッシングするのは『不自然』であると言う事ですね。
|私には「救う会」は「何も悪い事をしていない人」を救おうとしている様に思えますし、
|亀田氏の対戦相手も「何も悪い事をしていない人」だと考えますので、この様な反応は
|『自然』だと思います。
|バッシングはダメですが「見世物だから反則しても良い」との主張には賛同出来|兼ねます。
|果たして実際にボクシングをしている人達は『見世物』だと割り切っているでしょうか。
|例え『見世物』だとしても、その仕事に敬意を払って「反則はいけない!」と言うべきです。
|本当に見世物なら「反則はいけない!」と非難される事はヒールとして当然の役割ですから。

|<以上、「名無しの権兵衛さん」さんの指摘により削除、以下追加>
|
|『ネット右翼』が救う会をバッシングしている事例を私は知りません。
|仮に「掌を返した」としても、状況が変われば「掌を返」す事はあり得ますから、
|「ネット右翼」が「空気」を作っているのではなく、
|「空気」が「ネット右翼」を操作するとの『仮説』を主張する為には
|因果関係を示せなければなりません。
|どうして状況は変わらないのに「空気」が変わったのか
|(もしくは先に変わったのは「空気」であると)の説明が最低限必要なはずです。
|その様な説明は、果たして可能でしょうか。


> 政府に逆らう者は反日分子だという政治家の発言の尻馬に乗って、
> マスメディアもネットも自己責任バッシングに勤しんだイラク人質事件が象徴的です。
以前のエントリにも書きましたが、バッシングの原因は「政府に逆らう者は反日分子」だから
ではなく、家族が「人の命が掛かっているのになぜ自衛隊は撤退しないのか!」と
(あくまでテレビ上では)ヒステリックに主張している様に見えたからだと考えます。
「人の命が掛かっているのになぜ自衛隊は撤退しないのか!」の反論として
「(皆が止めたのに行ったのだから)『納得ずく(自己責任)』なはずだ!」との主張に思えます。
それに人質になったのが、駐在していたビジネスマンなどではなく
(実際の所は判りませんが)「派兵反対」の主張を持っていそうな人が含まれていた点も、
「自衛隊は撤退しろ!」との言葉を素直に受け取る事を困難にしたと考えます。


> 知識人とは知的に特殊な自己形成を遂げた者のことで、典型的には左翼の大学人を指します。
なぜ「左翼の」が付くのでしょうか?
私には『知識人』と言う言葉自体、「ネット右翼」同様左翼の人達が価値の操作する為に利用
している言葉だと思います。(この文章でもステロタイプでこれらの言葉が使われていますね)

少数の「特殊な自己形成を遂げた者」が、大衆を導くべきなのかも考えるべきです。
ここでの『知識人』は社会に対する役割や能力ではなく『自己形成』と言う個人的な事情により
定義づけられています。「知的に特殊な自己形成を遂げた者」とはすなわち「知的でありたい」
と考える様な自己形成を遂げた人と言う事です。
この様な人達は知識に対するコンプレックスを持っています。そしてそれは
彼らの社会的評価に対する不満としても顕われます。
変わるべきは自分自身ではなく知識人たる自分を評価しない『社会』の方だと考えるのです。
自分自身が向上する事は苦痛を伴いますが、不満を述べたり相手を馬鹿にする事は気持ちが
良いものです。そのため彼らは容易く「左翼」を指向します。
これは「左翼」の考えが優れている事を示すものではありません。単に「特殊な自己形成」
の結果なのです。彼らは自分自身が向上する事よりも社会が(自分に取って都合良く)向上
する事を望むのです。この辺の事を理解出来る『知識人』が存在しない事こそが問題です。
「知的でありたい」と思いさえすれば『知的』になれる訳ではありません。
社会も改善すべきですが、自分自身を研鑚しない限り本当の知識人にはなれないのです。


>  知識人はエネルギーがない代わりに方向性を知る。大衆は方向性を知らない代わりに
> エネルギーがある。エネルギーがある大衆を、方向性を知る知識人が導けば、社会が良くなる。
> この図式の前提に、知識人も大衆も社会という同じ舟に乗っているという感覚があります。
私は現在の「空気を読め」と言う言葉は『(自称)知識人』が発する様に思えます。
「方向性を知る『知識人』である俺様の言う事に『大衆』であるお前たちはなぜ従わないのか!」
との知識人の側の逆切れである様に思えるのです。
そこには「自分こそが主流だ(『正しい』)!」と言う思い上がりが存在している様に思います。
インターネットの発達した現代において「空気」と言うのは『知識人』(やマスコミ)ではなく
『大衆』がつくり出しています。


>  この(日本で知識人が認められない)理由は日本独特のエリートの成立事情に深い関係があります。
> ヨーロッパは階級社会なので、ノブレス・オブリージュに対する信頼がエリートを承認します。
> アメリカは競争社会なので、競争の勝者に対する賞賛がエリートへを承認します。
> さて日本はどうでしょう。
私はこれを日本のエリート達はヨーロッパの様にノブレス・オブリージュを果たす事をせず、
一方で日本社会にはアメリカの様に自由に競争出来ない様な「制約」が存在していて
金持ちが努力の結果だと思われていない為だと考えます。

>  内容が利害に拘束されるのでなく、単に空気に拘束されること。空気による拘束が、
> 利害に反することを指示することもあり得ます。それでも空気が優越するのは、
> フリーターなど非正規雇用の多い若年層が大々的に小泉ブームを支えたことによって象徴されています。
宮台先生はきっと『弱者』の例として「非正規雇用」と言う言葉を使われたと思います。
(そしてこの文脈において「正規雇用」は『強者』になります。)
一方で『安定』や『安心』は、多くの場合「正規雇用者」の立場が守られる事であり、
別の見方をすれば「非正規雇用者」が「正規雇用者」にとって変わる事を阻害する事を意味します。
『知識人』達が問題にしているのはあくまで「『正規雇用』から『非正規雇用』になった人」であり、
これは、もともと『非正規雇用』であった人にとっては関係無い事なのです。
「「正規雇用」なる特権階級を破壊する」事は非正規雇用者の利害に叶います。


>  新しい知識人は、大衆を導くというかつての課題とは違った課題に取り組む存在です。
> エキスパートが社会的全体性を弁えないがゆえに「暴走」してしまう可能性を、
> 事前に抑止するような役割を果たす存在です。そうした存在がこれからますます要求されるべきです。
かつての『知識人』が「社会が向かうべき方向性を示す」役割だったのに対し、
宮台先生は『新しい知識人』は「(社会が)「暴走」してしまう可能性を、 事前に抑止する」役割
であると規定しますが、私にはこれは「三流の(自称)『知識人』」にしか見えません。
宮台先生は最後に、『新しい知識人』の特徴である「批判」について言及しています。

>  ちなみに、文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。
> 批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。
> 批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、
> 前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。
「批判」するためには『対象』が必要です。
旧来の『知識人』が批判される対象を『創り出す存在』(被批判者)であったのに対し、
『新しい知識人』は単に対象を『批判する人』(批判者の一人)にしか過ぎないのです。
『新しい知識人』達は一体何を批判するのでしょう。
結局、『新しい知識人』が批判出来るのは「ネット右翼」「政府」「アメリカ」「ネオコン」
位しかなくなってしまった様に思います。


>  日本では、似非右翼が競争動機にばかりに止目し、似非左翼が理解動機ばかりに止目します。
> でも本来ならば、内発的な情念の連鎖を重視する真性右翼も、共同性への志向を重視する真性左翼も、
> ロールモデルに憑依される感染動機をこそ、重視しなければなりません。
宮台先生は「感染」と言う言葉を別の箇所でも使っています。
ここでは「感染」を好意的に用いていますが、別の2箇所では下の様に否定的に用いています。

#  すると途端に比率は逆転して「宮台の言う通りだ」が7対3の多数派になる。
# ここには同調圧力に負けるというより、周囲の空気がそのまま自分に感染してしまう事態があります。
# 抗えないという感覚があるというより、人々の意見が自分の意見になってしまうのですね。

#  受け手側に準拠すればこう言えます。受け手がイデオロギー的に信じ込んでいるよりも、
# 「祭り」のネタに相応しいアジェンダが選択され、ネタが醸し出す一過性の空気が感染してるだけです。
# その点かつての内容的なイデオロギー論(虚偽意識論)では説明できません。

この差はおそらく感染の対象が(あくまで宮台先生にとって)『素晴らしい』かどうかなのでしょう。
『小室直樹先生』はきっと立派な人なので感染する事は『正しい』が、
時代の雰囲気(や私の様な三流の人間)に感染する事は『正しくない』のです。
同種の問題として『新しい知識人』をどうやって判定するのかも明確ではありません。
果たして宮台先生の主観を離れて定義出来るのでしょうか?


>  感染(ミメーシス)とは初期ギリシアの自然学以来の重要な概念です。
> 日本では感染動機が軽視されています。たとえば教育に関わる三つの動機があります。
> 第一が競争動機。勝つ喜びです。第二が理解動機。分かる喜びです。第三が感染動機。
> 同一化する喜びです。
ここで話を止めてしまうのは『知識人』として無責任です。
これはあくまで学習の動機付けの話であり、
あるレベル以上になると、これらは全て否定されなければなりません。
例えば、勝ち負けに拘っていてはゼロサムゲームしか出来ませんし、
理解欲に拘っていては全体が見えません。そして、
同一化しただけでは単なるデッドコピー(劣化した複製)にしかならないのです。
このレベルでは到底知識人とは呼べません。


>  つまり、日本社会を護持するための戦略や免疫は必要だけれど、それを万人が身につける必要は
> ありません。それを身につけるべき存在をエリートと呼べましょう。エリートは、
> 無防備なお年寄りでも騙されずに生きられるような社会を設計して実現する責務があります。
>  ここでいうエリートも先程述べた「新しき知識人」です。古典的な知識人とは違い、
> 大衆を啓蒙的に導く存在である必要は必ずしもない。それは不可能であるか有害であるかです。
「批判」だけでは「社会を設計して実現する」事は出来ません。
「設計(創造)」と「批判(改善)」は全く別物なのです。
与党と野党の違いもここにあります。宮台先生が与党に関与しなかった(出来なかった?)のも
もしかしたらこの辺にあるのかもしれませんね。
元来「批判」や「改善」はエリートではなく大衆側の役割です。

民主主義においての『正しさ』と言うのは、皆が納得したかどうかでしかありませんから
民主主義下に於ける『真の知識人』は自分の考えを『大衆』に理解させる存在です。
その意味では「空気を読む」べきは、むしろ『知識人』にあります。
知識人が考えるべきは「戦争が正しいかどうか」は勿論ですが、
「どうしたら戦争すべき(ではない)と『大衆』(空気)を納得させられるか」をも含まれます。
(戦争すべきでは無い事位は大衆も知っています。それでも納得出来ない事はあり得ます)

果たして「啓蒙」は本当に有害なのでしょうか?
民主主義下において最終的な責任は首相や官僚(エリート)ではなく、国民(大衆)が負います。
このため、責任を取る立場の人(大衆)の賛同を得られない事を強行する事は認められません。
今ほど『啓蒙』が必要な時代は無いのではないでしょうか。
果たして「啓蒙」が出来ない(不可能)のは、時代や社会が変わったからでしょうか?
宮台先生の考える啓蒙とは「空気」を操作する事によって大衆を動かす事なのかもしれません。
確かにそれは「不可能であるか有害であるか」でしょう。
知識人がすべきは空気ではなく言葉による啓蒙(大衆の操作ではなく説得)なのです。

> (『新しい知識人』とは)
> むしろ『ライ麦畑でつかまえて』の主人公が「夢想」したような存在であるべきです。
>  でも村上春樹氏が指摘するように、主人公コーンフィールドは「志は高くて、行動は滑稽な」
> アンチヒーローです。だから主人公が夢想するのが〈世界〉への関与なのか〈自己〉への関与なのかが
> 微妙になります。そうした自己のために社会を滅ぼす存在ではいけません。
>  〈自己〉への関与が同時に〈世界〉への関与でもあるような、あるいは〈世界〉への関与が
> 同時に〈自己〉への関与でもあるような、ありそうもない道を、辛うじて辿り得るような、
> 相互牽制メカニズムが必要です。さもないとセカイ系の妄想に頽落してしまいます。
私が宮台先生の『新しい知識人』と言う言葉に感じた点がまさにこれです。
宮台先生がご自身が『知識人』である事を正当化する為に
『新しい知識人』なる言葉を作り出した様に感じました。


「(大衆を啓蒙的に導く)それは不可能であるか有害であるかです。」とありますが、
宮台先生は言葉による『啓蒙』は出来ない(もしくはしない)のでしょうか?

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5件のコメント

[C45]

> [周囲の空気がそのまま自分に感染してしまう事態の例として]
> 北朝鮮の拉致家族帰国問題で、当初は「救う会」を熱狂的に支持した“ネット右翼”が、
> 掌を返したように(試合で反則した亀田親子の)バッシング側に回ったのが、典型でしょう。

(試合で反則した亀田親子の)・・・ではなく救う会へのバッシングに回った・・のですよね。。。?

個人的な反感にもとづくヒステリーもほどほどにね。とほほ
  • 2008-02-11
  • 名無しの権兵衛
  • URL
  • 編集

[C46] 名無しの権兵衛さんさん

はじめまして。

ご指摘ありがとうございます。
確かに「当初は」とありますから「救う会へのバッシング」
と解す方が自然ですね。(本文を訂正しました)
この前後が亀田親子の話でしたので、誤解していました。

私の誤解だったとしても「ヒステリー」や「とほほ」など、
挑発する言葉を使うのは、不適切だと思いますよ。

人格攻撃ではなく内容に対する批判は、歓迎します。
私の主張で問題があるのはこの点だけですか?

[C47]

はじめまして、こんにちは。

個人的な意見ですが、
宮台先生の記事は、今まで明確にその実態を捉えることができなかったある社会的問題を、ご自身のストレートな(超主観的ともいえます)意見を交えながら、かなり的確に論説されていたのではないかと、思います。
行き過ぎた表現や、同感できない意見も多々ありましたが、重要なことはこの問題にスポットをあて、問題を明確化表面化するアクションなんだと思います。
そういった意味で、この記事は社会的に価値のある資料であると思いますし、個人的には信憑性の高い文献であると思います。(先生のファンじゃありません・・・)

しかしながら、先生はいったい何について話していたのか。
もしかしたらここのところが日本語で日本人に対して発信されたことによって解りにくくなっているのではないでしょうか。
私は、先生が話していたオブジェクティフの大半は現日本社会で消えつつある、または既に消滅しているのかもしれない価値観についてであると解釈しました。
たとえば、私たちが知らない考えたこともない実体も定義もない物がそこにあったとして、そのものの存在に対するアレルギー的反応は勿論のこと、その対象の存在すら察する(イメージする)ことができないのは、当たり前のことだと思います。

この議論の難しさはそこにあって、この件について話しているひとは無数にいるとしても、正確なピントで同じオブジェクティフについて話をしている人はとても少ないように感じます。


私自身頭のいい人間ではないのでうまくいえませんが、、、


宮台先生が知識人であるかどうかなんてどうでもいいと思うんです。
現実に先生が指摘するような問題は起こっていて、どのようにこの現実を受け止め、最善の選択をしていけるか、一集団としての日本人のアクションが重要なんだと思います。

そのための一歩として、特定した対象に対し揚げ足を取るような姿勢(文脈の敏感さの欠陥)を、他人に対する自分の意見と批判の違いを、考えましょう。とそういうことなのではないでしょうか。


ながながとすいません;;;
  • 2008-02-18
  • 名無しの権兵衛
  • URL
  • 編集

[C48] 名無しの権兵衛さんさん

はじめまして。
長文大いに結構です。本文に関連する事なら何でも自由に書いてください。
一般論としては、名無しの権兵衛さんさんの考えに同意します。
(「問題提起は大切だ!」と言う事ですね)

> たとえば、私たちが知らない考えたこともない実体も定義もない物がそこにあったとして、
そうなのです。思索とは『積み重ね』です。
考え抜かれたイメージを簡潔に表現する事は(俳句の様に)可能ですが、
それを理解するには、受け手の方も同じように「考え抜く」必要があります。
私はこのエントリでも私なりに「考え抜」こうと努力はしました。
(その途中経過を文字にしたのがこのエントリです)

一方で「信憑性」と言う言葉には「考え抜く」と言う姿勢が見えません。
そこには「信じる」か「信じない」かと言う、ある種博打か宗教の様なものを感じます。
(この意味で「ファンなんじゃないの?」とか勘ぐってしまうのです)

「現実に先生が指摘するような問題」とは、一体何を指すのでしょうか?
(もっと別に宮台先生が重要な問題提起をされているのであれば、ご指摘下さい)
o 「旧来の知識人ではダメで、新しい知識人が必要だ!」
→『新しい知識人』は、旧来の知識人のサブセットに過ぎない。
o 「ネット右翼は空気に左右される様なバカだ!」
→皆がバカだと思っている人(ネット右翼の定義)をわざわざバカと指摘する事は無意味
o 「感染動機を重視すべき!」
→(カルト宗教が教祖を祀り上げる様に)特定の人物の価値観を意図的に感染させる事は危険

私は『空気』なるものも『ネット右翼』同様、共同幻想に過ぎないと思います。
例えば『空気』の所を「先祖の霊」や「宇宙人の仕業」
と置き換えても大抵は成立しそうですから。
もし「空気」が人が作り出す『場』の様なものではなくて、
「空気」が人を操れるとするなら「空気」自体に『意志』がある事になります。
むしろ「先祖の霊」や「宇宙人」の方が説得力があると言えるでしょう。

# 「日本が侵略戦争を起こしたのは宇宙人に操られていたからだ!」
この場合でも「現実に指摘する問題(侵略戦争)」は存在します。

問題提起をするなら、少なくとも『空気』(宇宙人)なるものの定義を決めて、
確かにそれが存在すると主張するに足る根拠を示す必要があります。
それをしないと議論になりません。(この作業こそが問題提起です)

この宮台先生の文章にはこれが無いと思うのです。

[C49] すいません

好き勝手な事を書いたので、名無しの権兵衛さんさんへの返事になっていませんでした。

> 私は、先生が話していたオブジェクティフの大半は現日本社会で消えつつある、
> または既に消滅しているのかもしれない価値観についてであると解釈しました。
ただ、どうも「かつての価値観を取り戻せ!」との主張であるようには読めません。
「かつての価値観」が失われてしまった現在、変わる必要がある。
だからこその「文脈への敏感さ」であり「『新しい』知識人」なのでしょう。
このため私は「価値観」自体をそれほど重視しませんでした。

よかったら名無しの権兵衛さんさんのお考えをもう少し聞かせてください。

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