名無しの権兵衛さんから、
当BLOGの『[2005年07月16日] 「新しい」教科書』にコメントを頂きましたが、
長くなったのでエントリを立てました。
> 中途半端な問題提起により、現実に国内外が混乱している
> ←とあるがわかっている人はきちんと理解しているし
> 朝日新聞は何が問題かも伝えている。一方的な考えとしか思えない。
私は朝日新聞を『評価』する人は「わかっている」人なのだと思います。
「わかっている」人と「わかっていない」人とでは、
「わかっている」人の方が頭が良いと考えがちです。
でも「わかっている」人は本当に「わかっている」のでしょうか。
名無しの権兵衛さんが拘っているのは、当該教科書の記述でも
教科書がふさわしいかどうかでもなく、朝日新聞についてです。
私は朝日新聞は「わかってないなぁ」と一段上から見下した書き方をしている様に
思います。このためリスクを負わずに他人を馬鹿にしたい人にとって朝日新聞は
バイブルになりますし、議論ではなくテクニックによって自分の主張を通そうとする
手法に反発を持つ人は朝日新聞を批判します。
朝日新聞には「何でこんな事が分からないのか。信じられない」とのメッセージが
織り込まれています。朝日新聞に同調しなければ「こんな事も理解出来ない馬鹿」と
言われる事になりますから、自分が馬鹿と思われたくない人は朝日新聞を批判など
出来ない様になっています。むしろ「自分は頭が良いのだ」と思いたい人は
「朝日新聞は素晴らしい!」と積極的に主張する事になります。
「批判精神」との言葉が言われます。
私は批判精神の本質は『批判』にあるのではなく、
既存の常識と言う先入観から離れて「自分なりの考えを持つ」事なのだと考えます。
「自分なり」である以上、全く同じと言う事はあり得ません。
そこから『批判』が生まれるのです。
議論の相手を批判する『テクニック』ではなく『精神』なのです。
朝日新聞の主張は『テクニック』に基づいたもので
そこには『論拠』も『精神』も存在していない様に思います。
名無しの権兵衛さんは朝日新聞の主張に全面的に賛同するのですか。
朝日新聞の主張には不足する点や誤りはありませんか。
名無しの権兵衛さんは何を「わかっている」のでしょう。
朝日新聞の主張が「わかった」としてそれに何の意味があるのでしょう。
暗に朝日新聞は「これがわからない奴は馬鹿だ!」と言っているのですから、
「わかった私は馬鹿ではない」と言わされているだけなのではありませんか。
朝日新聞が常に正しい事を言っている保証はありませんから、
「わかっている」名無しの権兵衛さんは朝日新聞の主張をどの様に評価されますか?
「わかった」事で満足していてはいけないのです。
では逆に、この様な場合はどうでしょうか。
> # 「朝日新聞社」の新聞について、本BLOGはエントリーで
> # 「選民思想に基づき、論拠も挙げず対象を無能者と決め付けて批判を退ける書き方
> # をしていて、新聞としてふさわしくない」と主張してきた。
> # だから朝日新聞は廃刊にすべきである。
> わかっている人はきちんと理解しているし、本BLOGは何が問題かも伝えている。
「わかっている人」以外は、例え私のBLOGを読んでも「わからない」人は
「新聞としてふさわしくない」かどうかの判断が出来ませんよね。
これでは議論になりません。
朝日新聞や名無しの権兵衛さんはこの様に主張されているのです。
「わからない人」は当然「批判を退ける様な書き方」とは何だ?と思うはずです。
本来なら「わかっている人」は「わからない人」に説明をすべきです。
でもそれをしない。それって「馬鹿に説明するだけ無駄だ!」って事なのでは
ありませんか。(「問題提起が不十分」とはこの様な意味です)
新聞社がすべきは「自社の主張に同調しない人を黙らせる」事ではなく、
「皆に主張を理解してもらう」事です。
皆がその主張に賛同しなかったのなら、それは朝日新聞の言葉に力が無いか
朝日新聞の主張に義が無いかです。決して大衆が馬鹿だからではありません。
他人を馬鹿にする人は、自分の無能を認められない人に過ぎないのです。
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